おはようございます。今クールは断然グランベルムがおもしろいと思います。
そういうことです。
さて、最近パンタポルタさんで開催されてた800字ホラー小説大会に参加してました。
https://www.phantaporta.com/2019/08/villadiodati3.html
何年経ってもエターナル坊やの私ですがなんか800字ぐらいなら飽きないのか割と書けるので何かと参加しがちです。結果には触れないであげてください。
個人的に、ホラーは笑いと一緒で発見に面白さがあると思います。
普段はスルーしてるけど、よくよく考えると、
タケモトピアノのおっさんは何やっとんねんとか、
道路標識の人間のポーズ怖くね?みたいな発見。
グロい描写とか、いきなり耳元で声がするとか、そういう生理的なのとかビックリ的な怖さもあるんだけど、身近にありそうな題材を発見したいなあということで、
「自撮り」と「衣裳ケース」をテーマにしてみた。
あと、公式の一位の人へのコメントにあるとおり、分からない・説明できないことがやっぱり怖いと思って、そういう内容にしました。
https://www.phantaporta.com/2019/08/diodati15.html
自撮りの方は呪いのビデオですよね。結局は定番に走っている苦しさ。
https://www.phantaporta.com/2019/08/diodati13.html
問題は衣裳ケースの方で、わかりにくさを詰め込みすぎてウミガメのスープみたくなってしまったようで、人気メニューはナポリタン。
周囲どころか公式にも何これ?的なコメントを頂いたので、
反省会を兼ねて自作品を詳細に説明するという罰ゲームを行います。
『黒い衣裳ケース解説』
まず語り手=主人公の形式ですね。なので地の文には主人公の主観が入ります。
この人の家には「いくつもの衣裳ケースがあり」、
「衣類」や「趣味のコレクション」を収納しています。
そこで謎の黒い衣裳ケースが出てくるんですけど、
「使えるものなら使いたい」ってことは、主人公は衣類か趣味のコレクションかをもっと収納したいって思ってるわけです。
しかも「家が手狭になった」ということで、衣裳ケース、つまり衣類だかコレクションだかがどんどん増えてると考えられます。
ここに関しては改めて読むとわかりづらいですね。
で、謎のケースをなんとかしようってことになるわけですけど、
「想像していたよりもずっと軽い」というのは、普段の衣裳ケースの重さと比べてるので、衣類だかコレクションだかの重さということになり、
オチの「想像した通りの重さ」につながります。
じゃあ衣類だかコレクションだかって何なんだよっていうと、
主人公は黒い衣裳ケースに対して「見てはいけないもの」が入っていると考えているので、まあそういう類のものを自分の衣裳ケースにも入れてるんでしょう。
そのへんに散らかしておくと友人も呼べないので、ちゃんと片付けてるんですね。
それで友人が来るんだけど「嫌な感じがする」割に謎のケースからは「霊的なものは感じない」と言ったり、急に帰ろうとしたりするのを見て
「私は気が付いて」しまいます。
ここはナポリタンのにおいがするのを我慢して、
友人は謎のケース以外のものに言及していたことに気付いたとか、
謎のケースがまだ使えることと、その使い道に気付いたとか、
何かそんな感じでイイカンジに解釈してもらえるといいんじゃないでしょうか。
それでまあ多分、友人はコレクションの一部にでもなったんでしょう。
もしくは友人は無事帰ったのかもしれないけど、別の人が犠牲になったとかで、
とにかく想像通りの重さになったわけです。おわり。
ところで「いなくなった母」が残したケースを
主人公がなぜ「捨てようとしていた」と判断したのか。
目をそらしたかった「母の記憶」とは何なのか、
というか母はなんでいなくなったの?とか。
そもそも他の衣裳ケースにアカン物が入ってるのに謎のケースからアカン物が出てきたらアウト待ったなしなのに、なんでわざわざ友人呼んだんじゃとか、
謎のケースは本当に謎だったの?とか。
そういうあたりまで踏み込んでいただけると、読書感想文もバッチリです。
まとめると、黒い衣裳ケース自体は何も怖くないけど……という話になりますが、
詳しくは分からない方が怖いので、どんな真相か、明日まで考えといてください。
結局のところ、ネタ的にはこれと同じです。
https://twitter.com/ark_finn/status/1015465271023185921
こんなのばっかり書いてる人って怖いですねっていうオチ。
アニメ見ながら日記書いてたらもう朝になってるのもすごく怖いよ。
そういうことです。
さて、最近パンタポルタさんで開催されてた800字ホラー小説大会に参加してました。
https://www.phantaporta.com/2019/08/villadiodati3.html
何年経ってもエターナル坊やの私ですがなんか800字ぐらいなら飽きないのか割と書けるので何かと参加しがちです。結果には触れないであげてください。
個人的に、ホラーは笑いと一緒で発見に面白さがあると思います。
普段はスルーしてるけど、よくよく考えると、
タケモトピアノのおっさんは何やっとんねんとか、
道路標識の人間のポーズ怖くね?みたいな発見。
グロい描写とか、いきなり耳元で声がするとか、そういう生理的なのとかビックリ的な怖さもあるんだけど、身近にありそうな題材を発見したいなあということで、
「自撮り」と「衣裳ケース」をテーマにしてみた。
あと、公式の一位の人へのコメントにあるとおり、分からない・説明できないことがやっぱり怖いと思って、そういう内容にしました。
https://www.phantaporta.com/2019/08/diodati15.html
自撮りの方は呪いのビデオですよね。結局は定番に走っている苦しさ。
https://www.phantaporta.com/2019/08/diodati13.html
問題は衣裳ケースの方で、わかりにくさを詰め込みすぎてウミガメのスープみたくなってしまったようで、人気メニューはナポリタン。
周囲どころか公式にも何これ?的なコメントを頂いたので、
反省会を兼ねて自作品を詳細に説明するという罰ゲームを行います。
『黒い衣裳ケース解説』
まず語り手=主人公の形式ですね。なので地の文には主人公の主観が入ります。
この人の家には「いくつもの衣裳ケースがあり」、
「衣類」や「趣味のコレクション」を収納しています。
そこで謎の黒い衣裳ケースが出てくるんですけど、
「使えるものなら使いたい」ってことは、主人公は衣類か趣味のコレクションかをもっと収納したいって思ってるわけです。
しかも「家が手狭になった」ということで、衣裳ケース、つまり衣類だかコレクションだかがどんどん増えてると考えられます。
ここに関しては改めて読むとわかりづらいですね。
で、謎のケースをなんとかしようってことになるわけですけど、
「想像していたよりもずっと軽い」というのは、普段の衣裳ケースの重さと比べてるので、衣類だかコレクションだかの重さということになり、
オチの「想像した通りの重さ」につながります。
じゃあ衣類だかコレクションだかって何なんだよっていうと、
主人公は黒い衣裳ケースに対して「見てはいけないもの」が入っていると考えているので、まあそういう類のものを自分の衣裳ケースにも入れてるんでしょう。
そのへんに散らかしておくと友人も呼べないので、ちゃんと片付けてるんですね。
それで友人が来るんだけど「嫌な感じがする」割に謎のケースからは「霊的なものは感じない」と言ったり、急に帰ろうとしたりするのを見て
「私は気が付いて」しまいます。
ここはナポリタンのにおいがするのを我慢して、
友人は謎のケース以外のものに言及していたことに気付いたとか、
謎のケースがまだ使えることと、その使い道に気付いたとか、
何かそんな感じでイイカンジに解釈してもらえるといいんじゃないでしょうか。
それでまあ多分、友人はコレクションの一部にでもなったんでしょう。
もしくは友人は無事帰ったのかもしれないけど、別の人が犠牲になったとかで、
とにかく想像通りの重さになったわけです。おわり。
ところで「いなくなった母」が残したケースを
主人公がなぜ「捨てようとしていた」と判断したのか。
目をそらしたかった「母の記憶」とは何なのか、
というか母はなんでいなくなったの?とか。
そもそも他の衣裳ケースにアカン物が入ってるのに謎のケースからアカン物が出てきたらアウト待ったなしなのに、なんでわざわざ友人呼んだんじゃとか、
謎のケースは本当に謎だったの?とか。
そういうあたりまで踏み込んでいただけると、読書感想文もバッチリです。
まとめると、黒い衣裳ケース自体は何も怖くないけど……という話になりますが、
詳しくは分からない方が怖いので、どんな真相か、明日まで考えといてください。
結局のところ、ネタ的にはこれと同じです。
https://twitter.com/ark_finn/status/1015465271023185921
こんなのばっかり書いてる人って怖いですねっていうオチ。
アニメ見ながら日記書いてたらもう朝になってるのもすごく怖いよ。
打ち上げ花火、下から横から
2017年8月26日 日常 コメント (2)映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』
http://www.uchiagehanabi.jp/index.html
公開されるや否や、これはクソ映画ですみたいな感想ばっかり出てきて悲しい気分になり、むしろこういう日記が書かれることを期待した予定炎上のような気もしたのだが、そういった点をとりあえず無視して、この映画は最高に良かったと、皮肉でもなんでもなくお伝えしたいと思います。
おれにとってはすごく好きな作品でした。
こういう映画が見たかったし、これからも出てきて欲しい。
なお、おれが好きな方向性は過去の日記とか以下の感想で察して下さい。
まず、この作品はファンタジーでありメルヘンでありジュブナイルだ。
誰かが言ってるような文学作品ではないが、トゲの無い森見登美彦だったり、現実味のある宮沢賢治だったりはするかもしれない。
とにかく不思議なものは不思議なものとして説明しないところに魅力がある。
説明がないことで余韻を残しているが、徹底的に説明を排しているので、そこがクソ扱いされている主な理由だろう。
しかしおれはそういう所がとても好きだ。
何の説明もされないニキシー管とか良い味出してると思う。
他作品を例に出すのは無粋だが「時をかける少女」のリメイク版なんかは昭和版の実写映画に比べて説明的なところが多くてあまり好きじゃない。
あれは昭和版(というか原作)のなんでラベンダーやねんみたいなファンタジーなセンスがわかりやすく改変されすぎているように思うのだ。
その点、本作は実写版のそれのような、昭和の角川映画らしいといえばらしい作品である。
おれは昭和生まれなので、昭和な作品は大歓迎だ。
物語についても触れておこう。
この作品は原作のあらすじを見る限り、前半は大体同じで後半は完全なオリジナル展開をしているように思える。原作の方を見ていないので比較はできない。
内容を適当にまとめると「もしも」ルートに移動できるスーパーアイテム「白示録」を手に入れた主人公が異世界チートで無双する話だ。嘘です。
創作物は企画している時が一番楽しいように、完成に近づくほど可能性は収束していく。
頭の中では名作だったはずなのに、完成に近づくほどウンコになり作者も目が死んでいく。
人生だってそれと同じで本来は無限の選択肢があったはず。
その選択肢をいくらでも選び直すことができたら、一体どんな人生になるだろうか。
それは夢のようでもあり、無制限の自由というのはなんだか怖いような気もする。
といったことを考えさせられるような、別に考えなくてもいいような物語だ。
きっと可能性があったはずの子供時代に戻れたような気がしたりしなかったりもする。
それから主題歌がめちゃくちゃいい曲。
この人の今までの曲ぜんぜん好きじゃ無かったんだけどこの一曲でファンになれる。
なにしろ主題歌が良くなかったらそもそも見に行かなかっただろう。
だいたいおれは音楽で作品に入るケースが多いのだ。
それと映画見てからPVを見て驚いた。本編に無いシーンがいっぱい入ってる。
「もしも」をテーマにしているだけに、これもルートのひとつと考えられるのが面白いと思った。たぶん原作ルートだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=-tKVN2mAKRI
好き嫌いはあるだろうけど、良い悪いで言えば間違いなく良い作品であることはおれが保証するので、もし見てやっぱりクッソつまんねーと思ったとしても、それをなぜおれがこんなに気に入っているのか?を考える素材として使ってください。
なお、打ち上げ花火を下から見ると煤やら火の粉やらが降ってきて割と美しさよりも恐怖と危険を味わえます。
是非一度お試し下さい。
http://www.uchiagehanabi.jp/index.html
公開されるや否や、これはクソ映画ですみたいな感想ばっかり出てきて悲しい気分になり、むしろこういう日記が書かれることを期待した予定炎上のような気もしたのだが、そういった点をとりあえず無視して、この映画は最高に良かったと、皮肉でもなんでもなくお伝えしたいと思います。
おれにとってはすごく好きな作品でした。
こういう映画が見たかったし、これからも出てきて欲しい。
なお、おれが好きな方向性は過去の日記とか以下の感想で察して下さい。
まず、この作品はファンタジーでありメルヘンでありジュブナイルだ。
誰かが言ってるような文学作品ではないが、トゲの無い森見登美彦だったり、現実味のある宮沢賢治だったりはするかもしれない。
とにかく不思議なものは不思議なものとして説明しないところに魅力がある。
説明がないことで余韻を残しているが、徹底的に説明を排しているので、そこがクソ扱いされている主な理由だろう。
しかしおれはそういう所がとても好きだ。
何の説明もされないニキシー管とか良い味出してると思う。
他作品を例に出すのは無粋だが「時をかける少女」のリメイク版なんかは昭和版の実写映画に比べて説明的なところが多くてあまり好きじゃない。
あれは昭和版(というか原作)のなんでラベンダーやねんみたいなファンタジーなセンスがわかりやすく改変されすぎているように思うのだ。
その点、本作は実写版のそれのような、昭和の角川映画らしいといえばらしい作品である。
おれは昭和生まれなので、昭和な作品は大歓迎だ。
物語についても触れておこう。
この作品は原作のあらすじを見る限り、前半は大体同じで後半は完全なオリジナル展開をしているように思える。原作の方を見ていないので比較はできない。
内容を適当にまとめると「もしも」ルートに移動できるスーパーアイテム「白示録」を手に入れた主人公が異世界チートで無双する話だ。嘘です。
創作物は企画している時が一番楽しいように、完成に近づくほど可能性は収束していく。
頭の中では名作だったはずなのに、完成に近づくほどウンコになり作者も目が死んでいく。
人生だってそれと同じで本来は無限の選択肢があったはず。
その選択肢をいくらでも選び直すことができたら、一体どんな人生になるだろうか。
それは夢のようでもあり、無制限の自由というのはなんだか怖いような気もする。
といったことを考えさせられるような、別に考えなくてもいいような物語だ。
きっと可能性があったはずの子供時代に戻れたような気がしたりしなかったりもする。
それから主題歌がめちゃくちゃいい曲。
この人の今までの曲ぜんぜん好きじゃ無かったんだけどこの一曲でファンになれる。
なにしろ主題歌が良くなかったらそもそも見に行かなかっただろう。
だいたいおれは音楽で作品に入るケースが多いのだ。
それと映画見てからPVを見て驚いた。本編に無いシーンがいっぱい入ってる。
「もしも」をテーマにしているだけに、これもルートのひとつと考えられるのが面白いと思った。たぶん原作ルートだと思う。
https://www.youtube.com/watch?v=-tKVN2mAKRI
好き嫌いはあるだろうけど、良い悪いで言えば間違いなく良い作品であることはおれが保証するので、もし見てやっぱりクッソつまんねーと思ったとしても、それをなぜおれがこんなに気に入っているのか?を考える素材として使ってください。
なお、打ち上げ花火を下から見ると煤やら火の粉やらが降ってきて割と美しさよりも恐怖と危険を味わえます。
是非一度お試し下さい。
得票数戦闘力システム
2016年7月2日 日常今時なのか昔からなのか、選挙はキチガイの大喜利と化しており、皆さんも楽しんでいることと思う。
そんな中、今回、最も期待していた選挙芸人と考えられる候補者が、プロフィール拒否、会見拒否、公報は手書きというあらゆるキチガイの条件を満たしながら、ある一つの公約だけを掲げていた。それが得票数戦闘力システムだ。
もっとこう思考盗聴規制法とかを期待していたからガッカリしただけでなく、おれも同じ事を考えていたからキチガイ待ったなしである。
そもそも一票の格差問題とは、東京で53万票で当選した人と、どっかの田舎で5票で当選した人がどちらも同じ強さとされる問題であり、フリーザと地球の一般人が同レベルで、フリーザに負けたベジータがそれ以下とされる摩訶不思議現象である。
世間的にはこれを解消するため、東京では10人選出し、どっかの田舎は5000集落に1人選出する、といった形で小選挙区を構成してバランスを取ろうとしている。
しかし、その方法では次に、100%の得票率で当選した人と、60%の得票率で当選した人は同じ強さなのか、またそのとき40%の票はどこに消えたのかという問題が発生する。
近日、イギリスのEU離脱問題が51対49というような僅差で離脱が勝利するという話があったが、キノコかタケノコかを選ぶ選挙でキノコが勝利したら、49%のタケノコ支持者がいようが以後はキノコしか認めない、そんなことが許されるのだろうか。
それを解決するのが得票数戦闘力システムである。
おれが考えていたのは、議員は自らの得票数を戦闘力として国会内での議決を行える仕組みで、株主総会の株数が得票数になったようなものだ。
例の候補者は得票数の少ない者は別の当選者に票を委任する、とあったが、ぼくは株主が一株でも株主であるように、立候補者は全員議員となればいいと思っている点が異なっていた。
誰でも議員となれるのだから、議員報酬というのは得票数や実績等に応じた配当として、得票数が少ない議員は委任状を書くようにすればよい。大塚商会がやっていたように。
さてこの戦闘力システムだが、当然導入による問題もある。
ひとつは元気玉問題。これまではフリーザが53万の得票数で当選し、クリリンやベジータは為す術も無かったのだが、彼らが協力することで議決を覆すことができる。特に、サイヤ人の孫悟空による元気玉を使うと、泡沫議員の戦闘力を集めて強敵を倒すことが出来る。
そうなると、フリーザもサイヤ人対策を行う必要がある。これは上記でいうキノコタケノコ問題で考えればメリットであるとも言える。
勝利した=その言い分が100%通るのではなく、少数意見を加味して、落としどころを見つける必要があり、やりたいことができなくなってしまう。
もう一つの問題は、現状の選挙システムは、そもそ得票数戦闘力を単純化したシステムであるということだ。
本来、51%の得票で勝利した者は、戦闘力に関わらずその向こうに49%がいることを意識すべきであるし、与党と野党はその勢力に応じた落としどころを見つける為に戦うべきである。
だから、あえて得票数どうこう言わなくても、本来はそのようなことは実現されているはずなのだ。制度の変更は手間を増やすだけである。
しかし過半数を取れば自由にできる!勝利!みたいな戦い方がすでに行われている以上、それを戦闘力という数字の仕組みとして明確化する事で正常化を図る必要があるというのがぼくの考えである。
余談だが、直接民主制がこれに近い制度となる。
どこぞの政党は「国民投票による割合を議会での賛否に反映する」という裏技のような仕組みで直接民主制を実現しようとしているようだ。
この政党、国民投票をどうやって行うのかとか、そもそも投票者が間違って投票してしまうような党名を掲げており、国民の間違いを期待しながら、国民の判断を政治に取り入れるという妙な感じになっており、本当に直接民主制を実現できるのかどうかを自ら危うくしている。
また、そもそも直接民主制が時代に適しているのかどうかという問題がある。
先のEU離脱問題では、大雑把に「知識階級は離脱に反対していた」という話を聞いた。
たとえば今、夕飯のため買い物に行かなければならないとお母さんは知っているが、無知な子供やお父さんは遊びたいと提案し、多数決により遊びに出かける。結果、夕飯に困る。といったふうに、専門家の判断は時に多数決に優先すべき場合がある。
特に、昨今は夕飯なんかより遊びに行こうぜ!と民衆を煽るような風潮があり、遊びたい子供の気持ちが分からないお母さんはクソ!などと批判して遊びに連れ出させ、あげく夕飯の準備もできないお母さん!のような理不尽な物言いが目立つ。昨今ではないかもしれないが。
冒頭でも挙げたとおり、選挙と言えば芸人の大喜利で、せっかくの被選挙権もキチガイの遊び道具となってしまった。民衆も上記の通りで、強いリーダーもいない。独裁も貴族院も民主主義も機能していない末法の時代である。
実際の所、この先「強いリーダー」が登場して独裁政権へ突入していくというのが歴史に裏付けされた次の一手ではあるのだけど、そんな計算通りの世界も面白くないので、得票数戦闘力システムによる議会の機能回復、それによる国民の意識改革、といったふうに民主主義を回復し、個人の自由が全体を正しく動かすような社会になることを期待しつつぼくはキチガイに票を投じるのである。
そんな中、今回、最も期待していた選挙芸人と考えられる候補者が、プロフィール拒否、会見拒否、公報は手書きというあらゆるキチガイの条件を満たしながら、ある一つの公約だけを掲げていた。それが得票数戦闘力システムだ。
もっとこう思考盗聴規制法とかを期待していたからガッカリしただけでなく、おれも同じ事を考えていたからキチガイ待ったなしである。
そもそも一票の格差問題とは、東京で53万票で当選した人と、どっかの田舎で5票で当選した人がどちらも同じ強さとされる問題であり、フリーザと地球の一般人が同レベルで、フリーザに負けたベジータがそれ以下とされる摩訶不思議現象である。
世間的にはこれを解消するため、東京では10人選出し、どっかの田舎は5000集落に1人選出する、といった形で小選挙区を構成してバランスを取ろうとしている。
しかし、その方法では次に、100%の得票率で当選した人と、60%の得票率で当選した人は同じ強さなのか、またそのとき40%の票はどこに消えたのかという問題が発生する。
近日、イギリスのEU離脱問題が51対49というような僅差で離脱が勝利するという話があったが、キノコかタケノコかを選ぶ選挙でキノコが勝利したら、49%のタケノコ支持者がいようが以後はキノコしか認めない、そんなことが許されるのだろうか。
それを解決するのが得票数戦闘力システムである。
おれが考えていたのは、議員は自らの得票数を戦闘力として国会内での議決を行える仕組みで、株主総会の株数が得票数になったようなものだ。
例の候補者は得票数の少ない者は別の当選者に票を委任する、とあったが、ぼくは株主が一株でも株主であるように、立候補者は全員議員となればいいと思っている点が異なっていた。
誰でも議員となれるのだから、議員報酬というのは得票数や実績等に応じた配当として、得票数が少ない議員は委任状を書くようにすればよい。大塚商会がやっていたように。
さてこの戦闘力システムだが、当然導入による問題もある。
ひとつは元気玉問題。これまではフリーザが53万の得票数で当選し、クリリンやベジータは為す術も無かったのだが、彼らが協力することで議決を覆すことができる。特に、サイヤ人の孫悟空による元気玉を使うと、泡沫議員の戦闘力を集めて強敵を倒すことが出来る。
そうなると、フリーザもサイヤ人対策を行う必要がある。これは上記でいうキノコタケノコ問題で考えればメリットであるとも言える。
勝利した=その言い分が100%通るのではなく、少数意見を加味して、落としどころを見つける必要があり、やりたいことができなくなってしまう。
もう一つの問題は、現状の選挙システムは、そもそ得票数戦闘力を単純化したシステムであるということだ。
本来、51%の得票で勝利した者は、戦闘力に関わらずその向こうに49%がいることを意識すべきであるし、与党と野党はその勢力に応じた落としどころを見つける為に戦うべきである。
だから、あえて得票数どうこう言わなくても、本来はそのようなことは実現されているはずなのだ。制度の変更は手間を増やすだけである。
しかし過半数を取れば自由にできる!勝利!みたいな戦い方がすでに行われている以上、それを戦闘力という数字の仕組みとして明確化する事で正常化を図る必要があるというのがぼくの考えである。
余談だが、直接民主制がこれに近い制度となる。
どこぞの政党は「国民投票による割合を議会での賛否に反映する」という裏技のような仕組みで直接民主制を実現しようとしているようだ。
この政党、国民投票をどうやって行うのかとか、そもそも投票者が間違って投票してしまうような党名を掲げており、国民の間違いを期待しながら、国民の判断を政治に取り入れるという妙な感じになっており、本当に直接民主制を実現できるのかどうかを自ら危うくしている。
また、そもそも直接民主制が時代に適しているのかどうかという問題がある。
先のEU離脱問題では、大雑把に「知識階級は離脱に反対していた」という話を聞いた。
たとえば今、夕飯のため買い物に行かなければならないとお母さんは知っているが、無知な子供やお父さんは遊びたいと提案し、多数決により遊びに出かける。結果、夕飯に困る。といったふうに、専門家の判断は時に多数決に優先すべき場合がある。
特に、昨今は夕飯なんかより遊びに行こうぜ!と民衆を煽るような風潮があり、遊びたい子供の気持ちが分からないお母さんはクソ!などと批判して遊びに連れ出させ、あげく夕飯の準備もできないお母さん!のような理不尽な物言いが目立つ。昨今ではないかもしれないが。
冒頭でも挙げたとおり、選挙と言えば芸人の大喜利で、せっかくの被選挙権もキチガイの遊び道具となってしまった。民衆も上記の通りで、強いリーダーもいない。独裁も貴族院も民主主義も機能していない末法の時代である。
実際の所、この先「強いリーダー」が登場して独裁政権へ突入していくというのが歴史に裏付けされた次の一手ではあるのだけど、そんな計算通りの世界も面白くないので、得票数戦闘力システムによる議会の機能回復、それによる国民の意識改革、といったふうに民主主義を回復し、個人の自由が全体を正しく動かすような社会になることを期待しつつぼくはキチガイに票を投じるのである。
https://tokyo2020.jp/jp/games/emblem/evaluation/
オリンピックエンブレム案が発表された。
ぼくはC案を支持するが、こうして見ると佐野氏の没エンブレムは、善し悪しはともかく日本らしさがあったと思う。
漆の黒、ジパングの金、日の丸、銀の手……銀の手は消えない! ではなく、日本らしさを持つ色合いや形が没エンブレムを連想させるせいで封じられてしまった。消えたのだ。銀ってどこが日本らしいんだろう。
もっと褒めるなら、幾何学模様で囲う事で、下地の白も利用して国旗を表現していたのだ。
また、東京のTをモチーフにオリンピックのOとパラリンピックのPを表現しているというのも意味があって大変良い。こじつけ感はぬぐえないが。
そういうわけで、各案を見ていきたい。
A案
扇のイメージを重ねていると思えるが、日本らしさを感じるだろうか? ぼくは感じない。
市松模様も藍色もこじつけ感がある。
オリンピックとパラリンピックのロゴのコンセプトの違いはなんだろう?
パラリンピックは「欠けている」ことを意味しているのなら、A案支持に乗り換えてもいい。
B案
赤地に金を乗せると映えるそうだが、それは塗り重ねた時の話で、赤地に金の装飾を乗せたら中華人民共和国である。
しかしオリパラそれぞれのロゴを重ねた形、というアイデアは大変良いと思える。
金色が選手を表しているとすると、パラリンピックの方の物体はなんだろうか?
四肢欠損した人体を意味しているのなら、B案支持に乗り換えてもいい。
C案
ベネッセコーポレーションのロゴだが、風神雷神という眼の付け所は海外的にも良さそうだ。
もし体の形でTとOとPを示していると言われればそう見る事もでき、TPOをわきまえたデザインといえる。
緑と青の意味がわからないので、黒や銀に変えて佐野氏のごとき高級感を出すと一層良いと思われる。
そして、ぼくがC案を熱烈に支持する一番の理由が、パラリンピックの選手はだいたい障害を抱えた五体不満足な人達であるにも関わらず、堂々と五体満足な人体をロゴに掲げているところだ。
これは、たとえ障害者であっても、その心は完全な人間であることを示している。
健全な肉体には健全な心が宿るように、健全な心には健全な肉体が宿ると言うのだ。ここには障害者を差別、あるいは区別しようとする気持ちすら存在しない。
これほどオリンピックとパラリンピックの関係を適切に表現したロゴがかつてあったろうか。
C案で決まりだ。
D案
朝顔って世界的に日本を象徴しているんだろうか?
江戸の番傘と日章旗のイメージを重ねているのは日本らしさとしては悪くない。
しかし、そもそも幾何学模様を主体にしているが、その意図が佐野氏以上によくわからない。
オリンピックが花であるのに、パラリンピックは円になっているのは車いすを表しているのだろうか?
D案については残念な事に支持できる要素が見つけられない。
全体として、先に書いたとおり日本らしさを表現できる代表的な色が封じられたせいか、オリンピックカラー使いました!みたいな色合いのロゴが多く、まず鮮やかすぎるというか日本ってなんだっけみたいなところを感じた。
かといって北斎ブルーだとか江戸紫だとか、日本らしい色というのは他にもあり、安易にオリンピックしてしまったのは残念である。しかし実際のところオリンピック周りは残念なことばかりなので、それを象徴するロゴとして、とびきり残念なロゴを選んでしまうというのも良いのではないだろうか。
ザハ氏にロゴデザインを依頼してはどうだろうか。
幸い日本には霊界と交信し、インタビューができる能力者が存在している。そうしてグダグダしてまさに日本らしいオリンピックになればいいんじゃないか。
オリンピックエンブレム案が発表された。
ぼくはC案を支持するが、こうして見ると佐野氏の没エンブレムは、善し悪しはともかく日本らしさがあったと思う。
漆の黒、ジパングの金、日の丸、銀の手……銀の手は消えない! ではなく、日本らしさを持つ色合いや形が没エンブレムを連想させるせいで封じられてしまった。消えたのだ。銀ってどこが日本らしいんだろう。
もっと褒めるなら、幾何学模様で囲う事で、下地の白も利用して国旗を表現していたのだ。
また、東京のTをモチーフにオリンピックのOとパラリンピックのPを表現しているというのも意味があって大変良い。こじつけ感はぬぐえないが。
そういうわけで、各案を見ていきたい。
A案
扇のイメージを重ねていると思えるが、日本らしさを感じるだろうか? ぼくは感じない。
市松模様も藍色もこじつけ感がある。
オリンピックとパラリンピックのロゴのコンセプトの違いはなんだろう?
パラリンピックは「欠けている」ことを意味しているのなら、A案支持に乗り換えてもいい。
B案
赤地に金を乗せると映えるそうだが、それは塗り重ねた時の話で、赤地に金の装飾を乗せたら中華人民共和国である。
しかしオリパラそれぞれのロゴを重ねた形、というアイデアは大変良いと思える。
金色が選手を表しているとすると、パラリンピックの方の物体はなんだろうか?
四肢欠損した人体を意味しているのなら、B案支持に乗り換えてもいい。
C案
ベネッセコーポレーションのロゴだが、風神雷神という眼の付け所は海外的にも良さそうだ。
もし体の形でTとOとPを示していると言われればそう見る事もでき、TPOをわきまえたデザインといえる。
緑と青の意味がわからないので、黒や銀に変えて佐野氏のごとき高級感を出すと一層良いと思われる。
そして、ぼくがC案を熱烈に支持する一番の理由が、パラリンピックの選手はだいたい障害を抱えた五体不満足な人達であるにも関わらず、堂々と五体満足な人体をロゴに掲げているところだ。
これは、たとえ障害者であっても、その心は完全な人間であることを示している。
健全な肉体には健全な心が宿るように、健全な心には健全な肉体が宿ると言うのだ。ここには障害者を差別、あるいは区別しようとする気持ちすら存在しない。
これほどオリンピックとパラリンピックの関係を適切に表現したロゴがかつてあったろうか。
C案で決まりだ。
D案
朝顔って世界的に日本を象徴しているんだろうか?
江戸の番傘と日章旗のイメージを重ねているのは日本らしさとしては悪くない。
しかし、そもそも幾何学模様を主体にしているが、その意図が佐野氏以上によくわからない。
オリンピックが花であるのに、パラリンピックは円になっているのは車いすを表しているのだろうか?
D案については残念な事に支持できる要素が見つけられない。
全体として、先に書いたとおり日本らしさを表現できる代表的な色が封じられたせいか、オリンピックカラー使いました!みたいな色合いのロゴが多く、まず鮮やかすぎるというか日本ってなんだっけみたいなところを感じた。
かといって北斎ブルーだとか江戸紫だとか、日本らしい色というのは他にもあり、安易にオリンピックしてしまったのは残念である。しかし実際のところオリンピック周りは残念なことばかりなので、それを象徴するロゴとして、とびきり残念なロゴを選んでしまうというのも良いのではないだろうか。
ザハ氏にロゴデザインを依頼してはどうだろうか。
幸い日本には霊界と交信し、インタビューができる能力者が存在している。そうしてグダグダしてまさに日本らしいオリンピックになればいいんじゃないか。
超カッコイイ音楽も聴けるサイトのご紹介
2015年7月8日 日常なんとあのアークさんが真面目に作業してサイトをリニューアルしたのです。
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/2775/
スマホにも対応したレポンポシブポデザインになっております。
どうも活動がUTAU寄りになってきて、実際アクセスもそのへんが一番多いので、
一応メインであるオリジナル曲とかCDとかの音楽の方にも注目してもらえればなーと思ってこんなかんじにしてみました。
ぜひ見てみてね
ゲーム製作もかろうじてやめたわけではない(本も読んだしどっかのカードゲームより考察してるぞ!)ので、いずれなんらかの動きがあったらまたボタン配置ががらりと変わるか、その前に今のデザインに飽きてマテリアルデザインだかなんだかになることでしょう。
あといくつかの不人気コンテンツを無かったことにしているので、そのへんはまたどっかでフォローしますはい。
ところでトップにデカデカと出してるエコーズという曲ですが、この曲にはちょっとしたエピソードがありまして……
みたいなコンテンツも作ってみようかなと思ってみました。
アイドルにドラマがあって売れるように、ちょっとした小話が入り口になることもあるのかなと考えています。
そのうちやり、ま
うま
http://www.geocities.co.jp/Playtown-Spade/2775/
スマホにも対応したレポンポシブポデザインになっております。
どうも活動がUTAU寄りになってきて、実際アクセスもそのへんが一番多いので、
一応メインであるオリジナル曲とかCDとかの音楽の方にも注目してもらえればなーと思ってこんなかんじにしてみました。
ぜひ見てみてね
ゲーム製作もかろうじてやめたわけではない(本も読んだしどっかのカードゲームより考察してるぞ!)ので、いずれなんらかの動きがあったらまたボタン配置ががらりと変わるか、その前に今のデザインに飽きてマテリアルデザインだかなんだかになることでしょう。
あといくつかの不人気コンテンツを無かったことにしているので、そのへんはまたどっかでフォローしますはい。
ところでトップにデカデカと出してるエコーズという曲ですが、この曲にはちょっとしたエピソードがありまして……
みたいなコンテンツも作ってみようかなと思ってみました。
アイドルにドラマがあって売れるように、ちょっとした小話が入り口になることもあるのかなと考えています。
そのうちやり、ま
うま
ホットな話題には乗らないとっていうかホットに見せかけてあげないとかわいそうなので。
http://d.hatena.ne.jp/ichi-f/20140321
ぼくは「ドット絵」は「見せ方」ではなく「技術」だと思っているので、
パソコンで書いた油絵っぽいイラストは油絵か? という点に尽きるかと思います。
それが良いイラストであるならそれはそれで良いと思いますが、しかし油絵では無いとぼくは考えます。
例に挙がっている世界樹の人の記事なんかだと、photoshopの縮小時に自動でかかるアンチエイリアスを利用していたりして、仕事として大量の枚数を描かなければならない現場では効率的でとても良い手法ですが、技術的にどうかというと疑問があり、手直しにより致命的にアカンところはリカバーしている点で、効率化しつつもさすがプロともいえる高い技術を感じはするのですが、それはドット絵か?というとうーん言うような言わないような、レタッチ作業はドット絵であるとはいえそうだけども。上記の例えで言うなら印刷した絵に油絵の具で一部彩色しましたみたいな印象。
じゃあドット絵の技術とは何かというと、ぼくは1ドットに縮小するセンスだと思っていて、
表現したいものを小さいサイズで描く時に、どうデフォルメしていくかという点におもしろさがあると考えています。
ぼくがよく言うのは「赤と青の宝石を並べて身につけている」キャラのとき、
「赤または青のドットで代表させる」
「紫のドットを置く」
「宝石自体を大きめに解釈して赤と青の1ドットを置く」
等々考えられますが、それぞれが出来たイラストの個性になっておもしろいねって話です。
アンチエイリアスの件なんかは個性云々の前に1ドットで表現できるものを汚いグラデーションで3ドットも4ドットも使ってるんじゃねえよと思いますが。
また、いちうまくんが言う「色数は少ない方がいい」というのはぼくは全く思わないのですが、同じものを表現するのにピクセル数は少ない方がいいとは思っているため、つまり4ドットで表現できる部分に4色以上を使うことは不可能なので、結果として色数は減る傾向になるというのは事実です。
ただ、これに関しては浮世絵に於けるぼかしの技法と同じで、効果的に使ってやればレトロ技法を超えた表現を生み出せるのではないかなと思うところがあり、photoshopによる加工も効率化ではなく、表現として昇華できればそれはそれで良い物の気がするので、ドット絵だ!いや違う!みたいな話を超えた「新ドット絵」のようなジャンルの台頭を期待するばかりです。
そういった事を思っているため、先日のFFのエセレトロ動画は表現を感じられない、ただの絵や音を汚くしただけの内容に過ぎなかったので、こんなものをありがたがっているような人はダメですという話に至ったわけです。
新ドット絵って言葉の響きがちょっと気に入ったのでドット絵で悟りを開いた時には使おうと思います。新本格も新版画も好きなぼくでございました。
http://d.hatena.ne.jp/ichi-f/20140321
ぼくは「ドット絵」は「見せ方」ではなく「技術」だと思っているので、
パソコンで書いた油絵っぽいイラストは油絵か? という点に尽きるかと思います。
それが良いイラストであるならそれはそれで良いと思いますが、しかし油絵では無いとぼくは考えます。
例に挙がっている世界樹の人の記事なんかだと、photoshopの縮小時に自動でかかるアンチエイリアスを利用していたりして、仕事として大量の枚数を描かなければならない現場では効率的でとても良い手法ですが、技術的にどうかというと疑問があり、手直しにより致命的にアカンところはリカバーしている点で、効率化しつつもさすがプロともいえる高い技術を感じはするのですが、それはドット絵か?というとうーん言うような言わないような、レタッチ作業はドット絵であるとはいえそうだけども。上記の例えで言うなら印刷した絵に油絵の具で一部彩色しましたみたいな印象。
じゃあドット絵の技術とは何かというと、ぼくは1ドットに縮小するセンスだと思っていて、
表現したいものを小さいサイズで描く時に、どうデフォルメしていくかという点におもしろさがあると考えています。
ぼくがよく言うのは「赤と青の宝石を並べて身につけている」キャラのとき、
「赤または青のドットで代表させる」
「紫のドットを置く」
「宝石自体を大きめに解釈して赤と青の1ドットを置く」
等々考えられますが、それぞれが出来たイラストの個性になっておもしろいねって話です。
アンチエイリアスの件なんかは個性云々の前に1ドットで表現できるものを汚いグラデーションで3ドットも4ドットも使ってるんじゃねえよと思いますが。
また、いちうまくんが言う「色数は少ない方がいい」というのはぼくは全く思わないのですが、同じものを表現するのにピクセル数は少ない方がいいとは思っているため、つまり4ドットで表現できる部分に4色以上を使うことは不可能なので、結果として色数は減る傾向になるというのは事実です。
ただ、これに関しては浮世絵に於けるぼかしの技法と同じで、効果的に使ってやればレトロ技法を超えた表現を生み出せるのではないかなと思うところがあり、photoshopによる加工も効率化ではなく、表現として昇華できればそれはそれで良い物の気がするので、ドット絵だ!いや違う!みたいな話を超えた「新ドット絵」のようなジャンルの台頭を期待するばかりです。
そういった事を思っているため、先日のFFのエセレトロ動画は表現を感じられない、ただの絵や音を汚くしただけの内容に過ぎなかったので、こんなものをありがたがっているような人はダメですという話に至ったわけです。
新ドット絵って言葉の響きがちょっと気に入ったのでドット絵で悟りを開いた時には使おうと思います。新本格も新版画も好きなぼくでございました。
hiroさんが六年前から成長していない!
http://frontier.diarynote.jp/200809131232105501/
全く同じレスを返しそうになった俺も成長していない!
まあクソみたいなコメントが沸いて俺も幼稚な対応してますが、
ウンコがあった時にこれはカレーじゃない!と言ってカレーを作るのもいいけど
どうやったらカレーに見えるのか、皿に盛ってみるとか
あるいはウンコをおいしく食べる方法が無いか、実はジャコウネコのウンコであるとか、
そういう方向で考えてもアイデアが広がるんじゃねーかなっていう話です
クソみたいなコメントをおいしく食べる方法を見いだせなかったので自己矛盾してましたね。
まあウンコが耐え難ければカレー作るしか無いんで矛盾って程でもないんだけど
最近だと虚淵さんがウンコをおいしく食べる方法っていうか、料理店にウンコがあったらどうなるか、みたいな方向性で作劇してる感じがあって、その異物の解釈の仕方が面白いと思う(たいがい悲劇になってるけど)
そんな感じで今年もF1感想をメインに活動していきたいと思います
http://frontier.diarynote.jp/200809131232105501/
全く同じレスを返しそうになった俺も成長していない!
まあクソみたいなコメントが沸いて俺も幼稚な対応してますが、
ウンコがあった時にこれはカレーじゃない!と言ってカレーを作るのもいいけど
どうやったらカレーに見えるのか、皿に盛ってみるとか
あるいはウンコをおいしく食べる方法が無いか、実はジャコウネコのウンコであるとか、
そういう方向で考えてもアイデアが広がるんじゃねーかなっていう話です
クソみたいなコメントをおいしく食べる方法を見いだせなかったので自己矛盾してましたね。
まあウンコが耐え難ければカレー作るしか無いんで矛盾って程でもないんだけど
最近だと虚淵さんがウンコをおいしく食べる方法っていうか、料理店にウンコがあったらどうなるか、みたいな方向性で作劇してる感じがあって、その異物の解釈の仕方が面白いと思う(たいがい悲劇になってるけど)
そんな感じで今年もF1感想をメインに活動していきたいと思います
ところで今更だがパヤオ引退会見はちょっとした映画や指南書ばりに濃い内容だったのでクリエイターの皆さんは見るべき。よくわからんオッサンがよくわからん内容を語ってるせいで書き起こしは一言一句そのまま書いてない限り大幅にニュアンスが変わってるから要注意だ。
それ聞いてて思ったのは前に風立ちぬの感想で書いたおおかみこどもへのアンサーってのは間違ってたなと。高畑監督へのアンサーっていうのがおそらく正解の気がする。トトロアンサーだった火垂るの墓へのアンサーであるっていう記事もどっかで見たけど、そういう限定された話ではないと思うなあ。おそらくトトロ以前もそれ以後もこの二人はぶつかっていたと思うし、たまたま真っ向勝負だったのがその同時公開の時だっただけだろう。
そう考えると先輩と後輩へのアンサーであったということで、ますますラスト作品らしいというか、そういえばパヤオ作品には珍しく「上司」という存在がいたな。
あと前に書いたとおりテーマが「綺麗なものだけ見て欲しい」というところにあると受け取ったので、CMとかで「映画は美しい夢だ」とか言われると空虚というかその虚しさになんともいえない美があって日本的だなあとか思ってしまった。
まあそういうわけでおおかたの予想通りフラグが解消されましたねと。
そして我らがマッサが(続きは次回のF1日記で)
ところで最近動画を公開したのでこの記事はただの宣伝です。
ツイーターで知り合った人と共同制作したのでクオリティがいつにも増しております。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21763940
それ聞いてて思ったのは前に風立ちぬの感想で書いたおおかみこどもへのアンサーってのは間違ってたなと。高畑監督へのアンサーっていうのがおそらく正解の気がする。トトロアンサーだった火垂るの墓へのアンサーであるっていう記事もどっかで見たけど、そういう限定された話ではないと思うなあ。おそらくトトロ以前もそれ以後もこの二人はぶつかっていたと思うし、たまたま真っ向勝負だったのがその同時公開の時だっただけだろう。
そう考えると先輩と後輩へのアンサーであったということで、ますますラスト作品らしいというか、そういえばパヤオ作品には珍しく「上司」という存在がいたな。
あと前に書いたとおりテーマが「綺麗なものだけ見て欲しい」というところにあると受け取ったので、CMとかで「映画は美しい夢だ」とか言われると空虚というかその虚しさになんともいえない美があって日本的だなあとか思ってしまった。
まあそういうわけでおおかたの予想通りフラグが解消されましたねと。
そして我らがマッサが(続きは次回のF1日記で)
ところで最近動画を公開したのでこの記事はただの宣伝です。
ツイーターで知り合った人と共同制作したのでクオリティがいつにも増しております。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21763940
「風立ちぬ」を早速見てきました
感想を一言で言うと宮崎駿の死亡フラグがいよいよヤバイ。
内容的にはパヤオ版おおかみこどもという感じだが、もちろん話は全然違うので詳しくは後述
というか話はパヤオ自己紹介映画
おおかみこどもを見た時、これ高畑監督っぽいなあって思ったって話は何度かしてるんだけど、世間で言われてるようなポスト宮崎駿じゃねえよなあって思う
むしろあの作品をそういう見方をすると甘く見えちゃう
で、そのおおかみこどもでいう家族愛みたいなものに対して、俺はこうだよ!っていうアンサーをぶつけるみたいな内容になっていて、そもそもパヤオって細田監督について何か言及してたっけ?と思ったけど発見できず。
一方好き勝手やって面白くできる庵野の方が宮崎駿の後継者にはふさわしいんじゃないのって話もしていて、
なんかパヤオが庵野嫌ってるっぽく見えるのは明らかに同族嫌悪だろって思ってた
そんな庵野が主人公の声優やるよって決まった時にはポニョで息子に歩み寄ったのに続いて今度は弟子かよと
しかもこれが上記の想像通り細田に対してもぶつけてるなら、完全に宮崎高畑に対する庵野細田という後継者に売ってる喧嘩じゃねえかと。
もうパヤオのやりきった感がすごいよ
庵野の演技がどうこうっていうのは良いとは言わんが些細な問題であってあのキャラ造形ならむしろパヤオ本人が声を当てたかったぐらいだろって思うとこれでいいんだよ
あとジブリ映画でこういう映画ができたっていうのが凄い
全体的に自由なパヤオがやりたい放題にやってて唖然としてしまう
パヤオと言えば何か大事件を起こして盛り上げる、逆に言えばワンパターンみたいな言われ方をされているのだけど、
そういうの一切無し、一切無いどころか冒頭にそういうのを持ってきて凄いフェイントをかけてる
悲惨な災害や戦争ものにはならないし、大成功を収めるって話でもない
こんなにワクワクしない宮崎アニメは初めてです
それから語り口が完全にモデグラの連載のやり方で、不要なところはバッサリ切り捨ててる
○○を作るぞ!みたいな事を言った次のシーンでその○○がもう完成して使われているみたいな、そういう展開をする場面が随所にある
モデグラだとこのへんうんちくみたいなナレーション入るんだけど、もちろん本筋ではないのでカット
主人公の妹(志田未来めっちゃかわいい)も度々出てきて「何々した」「何々してる」みたいなことを言うんだけどそれらをしてるシーンは一切無し。
例えば妹が「ヒロインと仲良くなった」とか言ってるんだけど二人の会話シーン皆無。
いやそれを絵で見せるのが映画だろって思わなくもないけど、清々しすぎる。妹どういうポジションなんだよと。
しかし出てくる飛行機はめっちゃ書き込まれてるし、主人公自身はひたすら飛行機うんちくを語る上に解説動画つき
このへんの取捨選択バランスがすごい
紅の豚がああいう話になったのに対して、これをこう作れたっていうのは時代の流れというか考えさせられるなあ
そしてメインの恋愛要素はまあ普通にドラマしてたので特に深読みして何か感想をっていう感じではないのだけど
このヒロイン(瀧本美織めっちゃかわいい)について語られる「綺麗なところだけ見て欲しかったのね」って言葉、この映画そのものじゃねーか!
そう考えると、主人公とヒロインの恋愛を、そのまま主人公と飛行機の関係に置き換えることができる
このつなげかたはすげえよ
しかし実際には綺麗なところだけを見ているわけにはいかず、辛い現実に直面することとなるんだと
そのうえでキャッチフレーズの言葉でもある「生きねば」にまとまっていくんだけど、このへんの最後のシーンはもう完全にテーマに直結していて主人公達がどうこうっていう話ではなくなっている
そういう終わらせ方をしても不自然じゃないように、上記のような不自然な場面の飛び方をしたり、たびたび夢の中を描いたりしているんだと思う
演出的な部分での伏線マジックというかこれも凄いやり方を持ってきたなと
そこまでしてパヤオの言いたかった「生きる」とはなんだろうと考えてみると、
綺麗なところだけ見てないで現実を受け入れて生きていけよ、とも取れるし、綺麗なところがあればそれでいいじゃない的にも取れるし、
まあそもそも見方としては主人公はクソ男かもしれないし、反戦だの右傾化云々ってのもあるかもしれない
そのあたり今までの宮崎アニメでは「それはそれで別に面白ければいいじゃん」みたいなところでごまかしていた部分をいろいろな解釈が出来るようにしているって意味で新鮮だったわ
この見方によって物語が変わるっていうのがおおかみこどもっぽいなって思ったんだけど
俺はあれは弟目線で見てしまって過保護カーチャンうるせーなって第一印象で思ってしまったんだが
それと同じで自分を映す鏡っていうかそんな感じの作品でもあるんじゃないかなあ
妹目線が余りにも無視されてる割に重要ポジションなので、そのへん考えてみたらまた全然違う話になるのかもしれない
そんな映画でした。今度飛行機をテーマに曲書きますね。
曲と言えば魔女の宅急便っぽいなーとかラピュタと同じコード進行だな-とか気になってしまいどんどん落ちていく内容も相まって見る前はサントラ買おうと思ってたけどスルーしてしまっ
感想を一言で言うと宮崎駿の死亡フラグがいよいよヤバイ。
内容的にはパヤオ版おおかみこどもという感じだが、もちろん話は全然違うので詳しくは後述
というか話はパヤオ自己紹介映画
おおかみこどもを見た時、これ高畑監督っぽいなあって思ったって話は何度かしてるんだけど、世間で言われてるようなポスト宮崎駿じゃねえよなあって思う
むしろあの作品をそういう見方をすると甘く見えちゃう
で、そのおおかみこどもでいう家族愛みたいなものに対して、俺はこうだよ!っていうアンサーをぶつけるみたいな内容になっていて、そもそもパヤオって細田監督について何か言及してたっけ?と思ったけど発見できず。
一方好き勝手やって面白くできる庵野の方が宮崎駿の後継者にはふさわしいんじゃないのって話もしていて、
なんかパヤオが庵野嫌ってるっぽく見えるのは明らかに同族嫌悪だろって思ってた
そんな庵野が主人公の声優やるよって決まった時にはポニョで息子に歩み寄ったのに続いて今度は弟子かよと
しかもこれが上記の想像通り細田に対してもぶつけてるなら、完全に宮崎高畑に対する庵野細田という後継者に売ってる喧嘩じゃねえかと。
もうパヤオのやりきった感がすごいよ
庵野の演技がどうこうっていうのは良いとは言わんが些細な問題であってあのキャラ造形ならむしろパヤオ本人が声を当てたかったぐらいだろって思うとこれでいいんだよ
あとジブリ映画でこういう映画ができたっていうのが凄い
全体的に自由なパヤオがやりたい放題にやってて唖然としてしまう
パヤオと言えば何か大事件を起こして盛り上げる、逆に言えばワンパターンみたいな言われ方をされているのだけど、
そういうの一切無し、一切無いどころか冒頭にそういうのを持ってきて凄いフェイントをかけてる
悲惨な災害や戦争ものにはならないし、大成功を収めるって話でもない
こんなにワクワクしない宮崎アニメは初めてです
それから語り口が完全にモデグラの連載のやり方で、不要なところはバッサリ切り捨ててる
○○を作るぞ!みたいな事を言った次のシーンでその○○がもう完成して使われているみたいな、そういう展開をする場面が随所にある
モデグラだとこのへんうんちくみたいなナレーション入るんだけど、もちろん本筋ではないのでカット
主人公の妹(志田未来めっちゃかわいい)も度々出てきて「何々した」「何々してる」みたいなことを言うんだけどそれらをしてるシーンは一切無し。
例えば妹が「ヒロインと仲良くなった」とか言ってるんだけど二人の会話シーン皆無。
いやそれを絵で見せるのが映画だろって思わなくもないけど、清々しすぎる。妹どういうポジションなんだよと。
しかし出てくる飛行機はめっちゃ書き込まれてるし、主人公自身はひたすら飛行機うんちくを語る上に解説動画つき
このへんの取捨選択バランスがすごい
紅の豚がああいう話になったのに対して、これをこう作れたっていうのは時代の流れというか考えさせられるなあ
そしてメインの恋愛要素はまあ普通にドラマしてたので特に深読みして何か感想をっていう感じではないのだけど
このヒロイン(瀧本美織めっちゃかわいい)について語られる「綺麗なところだけ見て欲しかったのね」って言葉、この映画そのものじゃねーか!
そう考えると、主人公とヒロインの恋愛を、そのまま主人公と飛行機の関係に置き換えることができる
このつなげかたはすげえよ
しかし実際には綺麗なところだけを見ているわけにはいかず、辛い現実に直面することとなるんだと
そのうえでキャッチフレーズの言葉でもある「生きねば」にまとまっていくんだけど、このへんの最後のシーンはもう完全にテーマに直結していて主人公達がどうこうっていう話ではなくなっている
そういう終わらせ方をしても不自然じゃないように、上記のような不自然な場面の飛び方をしたり、たびたび夢の中を描いたりしているんだと思う
演出的な部分での伏線マジックというかこれも凄いやり方を持ってきたなと
そこまでしてパヤオの言いたかった「生きる」とはなんだろうと考えてみると、
綺麗なところだけ見てないで現実を受け入れて生きていけよ、とも取れるし、綺麗なところがあればそれでいいじゃない的にも取れるし、
まあそもそも見方としては主人公はクソ男かもしれないし、反戦だの右傾化云々ってのもあるかもしれない
そのあたり今までの宮崎アニメでは「それはそれで別に面白ければいいじゃん」みたいなところでごまかしていた部分をいろいろな解釈が出来るようにしているって意味で新鮮だったわ
この見方によって物語が変わるっていうのがおおかみこどもっぽいなって思ったんだけど
俺はあれは弟目線で見てしまって過保護カーチャンうるせーなって第一印象で思ってしまったんだが
それと同じで自分を映す鏡っていうかそんな感じの作品でもあるんじゃないかなあ
妹目線が余りにも無視されてる割に重要ポジションなので、そのへん考えてみたらまた全然違う話になるのかもしれない
そんな映画でした。今度飛行機をテーマに曲書きますね。
曲と言えば魔女の宅急便っぽいなーとかラピュタと同じコード進行だな-とか気になってしまいどんどん落ちていく内容も相まって見る前はサントラ買おうと思ってたけどスルーしてしまっ
小倉「当時とはいえ必要だったと正当化するのは…」
橋下「必要じゃなかったら慰安婦なんていないでしょ」
みたいなどっかで俺が書いたようなごく当たり前の話を経て慰安婦関連については一部の話が通じない人を除いて沈静化してきた感がある
むしろ米軍が風俗を使え関連がやっぱり煽りなので世界的に釣られてる感じ
だいたいこんなかんじ
・風俗の実態は違法であり、無理矢理働かされているので利用を勧めるべきでない
法の上で話をしているのに法が間違っているみたいな話をするのはどうか
だったらそう言う話をする奴はバカ!ではなく、法改正の声を上げるべきだ
・風俗は性犯罪者のための施設だったのか
刑務所でタンスを作ってるからタンス職人は犯罪者みたいな理屈
・軍人=性犯罪者と決めつけるのか
軍人の中に存在した性犯罪者の話をしているのでしょう
・日本の風俗はアメリカでは認められていないものである
これについては実際知らんかったっぽくて謝罪してたが
そもそも本題は「米軍による性犯罪の多発をどうするか」であり、その煽りとして風俗行けよって言ってるんだから、煽るのもどうかと思うが釣られずに本題に目を向ければ上のような揚げ足取りはどうでもいい話だろうが
揚げ足をとり続ければ決して負けることはないって言うあれを世界がドヤ顔で
ところで最近ヴァルヴレイヴがめちゃくちゃおもしろいんですが
扱いとしてはラインバレルぐらいのオリジナルロボットアニメなのに異常に叩かれていてびっくりするというか、AGEよりつまらん!とか天下のガンダムと比べるほどのアニメだと認定してるのかよっていう
それはともかく、現代版トップを狙えというか、一人旅団ならぬ一人スパロボな内容になっていて、ツギハギ具合が神がかっていてよくネタが尽きないもんだと6話現在で未だに毎回驚かされるんだけど、
多分元ネタが1~2個しか分からないとただのパクリ二番煎じに見えてしまうことや、ツギハギの為に細かい描写をばっさり切り落としているところ、そしてお約束展開に終始してるのでそれを受け入れないと新鮮みがないことや、お約束過ぎて「こういうのが見たかったんだろ?」みたいな感じを人によっては受けるという点で叩かれてるんじゃないかと思っている
このアニメはさっき書いたとおり単純に一人スパロボとして楽しむのがいい
そしてこの調子で最後までネタ切れせずに完走すれば
教科書として歴史に残るアニメになるぞ
まるで歌舞伎の演目のようにな
橋下「必要じゃなかったら慰安婦なんていないでしょ」
みたいなどっかで俺が書いたようなごく当たり前の話を経て慰安婦関連については一部の話が通じない人を除いて沈静化してきた感がある
むしろ米軍が風俗を使え関連がやっぱり煽りなので世界的に釣られてる感じ
だいたいこんなかんじ
・風俗の実態は違法であり、無理矢理働かされているので利用を勧めるべきでない
法の上で話をしているのに法が間違っているみたいな話をするのはどうか
だったらそう言う話をする奴はバカ!ではなく、法改正の声を上げるべきだ
・風俗は性犯罪者のための施設だったのか
刑務所でタンスを作ってるからタンス職人は犯罪者みたいな理屈
・軍人=性犯罪者と決めつけるのか
軍人の中に存在した性犯罪者の話をしているのでしょう
・日本の風俗はアメリカでは認められていないものである
これについては実際知らんかったっぽくて謝罪してたが
そもそも本題は「米軍による性犯罪の多発をどうするか」であり、その煽りとして風俗行けよって言ってるんだから、煽るのもどうかと思うが釣られずに本題に目を向ければ上のような揚げ足取りはどうでもいい話だろうが
揚げ足をとり続ければ決して負けることはないって言うあれを世界がドヤ顔で
ところで最近ヴァルヴレイヴがめちゃくちゃおもしろいんですが
扱いとしてはラインバレルぐらいのオリジナルロボットアニメなのに異常に叩かれていてびっくりするというか、AGEよりつまらん!とか天下のガンダムと比べるほどのアニメだと認定してるのかよっていう
それはともかく、現代版トップを狙えというか、一人旅団ならぬ一人スパロボな内容になっていて、ツギハギ具合が神がかっていてよくネタが尽きないもんだと6話現在で未だに毎回驚かされるんだけど、
多分元ネタが1~2個しか分からないとただのパクリ二番煎じに見えてしまうことや、ツギハギの為に細かい描写をばっさり切り落としているところ、そしてお約束展開に終始してるのでそれを受け入れないと新鮮みがないことや、お約束過ぎて「こういうのが見たかったんだろ?」みたいな感じを人によっては受けるという点で叩かれてるんじゃないかと思っている
このアニメはさっき書いたとおり単純に一人スパロボとして楽しむのがいい
そしてこの調子で最後までネタ切れせずに完走すれば
教科書として歴史に残るアニメになるぞ
まるで歌舞伎の演目のようにな
相変わらず橋下が叩かれてるけどなんか今回は(今回も?)揚げ足取りというか
おまえら何と戦ってるんだレベルに感じます
まず、橋下氏の立場として、軍またはそれに準ずる立場からの主導による従軍慰安婦なるものは存在したという前提で話を進めてるよね。
談話見直しに言及してるから全体として矛盾はしてるんだけど、
今回の話についてはこの前提で進んでいるはず。
まずこの前提を否定するのであれば「慰安婦など存在しない」または「軍の主導ではなかった」という事になる。
次に一番取りざたされてる「慰安婦は必要だった」という発言。
これはどう読んでも「戦争中は必要だった」という話で、拡大解釈したとしても「男、特に軍人には慰安婦が必要」という言い回しになる。
これを否定するなら「慰安婦が必要とされたことなどない」となり、必要ないものが存在するわけがないので「慰安婦など存在しない」となってしまう。
あるいは「軍人や男が性欲の塊みたいな表現は軍人・男性蔑視」といった批判であれば真っ当と思うが「女性が被害に遭う」という文脈で女性蔑視という考えが出てくるのは意味不明。
ねじ曲げて「男にとって女は慰安婦だ!慰安婦を現代に!」という主張だと解釈してるなら、それは橋下ではなくお前の頭を批判した方がいい。
ツイッターでも書いたけど「江戸時代はホモが当たり前」って言ったら「お前はホモだったのか!」と言われるレベルの意味不明なやりとりに見える。
事実と当人の思想は無関係だろうに
あとは「米軍は風俗使え」か。
これ「レイプするならエロ本読んでろ!」っていうただの煽りなんだけど
アメリカの反応が「エロ本は禁止しているし、エロい軍人などいない」っていうのは笑うところだよね。レイプしてるのに。
橋下憎しの方々は「橋下のせいでアメリカ激怒!外交問題!」とか言ってるけど、これに関してはおかしいのはどっちだよ。
これもアメリカ擁護側に立つとレイプOKってことになっちゃうんだよね
まあ煽りじゃなくてもっとマシな案出せっていえばもっともなんだけど
マシな案どころか野放しにしてる当人を擁護してまで批判するようなことでもないだろうよ
といった感じで、まあ、ああいう地位の高い人が俺みたいなノリで省もない発言を連発してしまうと言う、その姿勢自体は批判を受けるに値するとは思うが、内容自体は割と考えて言ってると思われるので、下手に一部を抜き出して批判すると以上のように本来主張したかった事を否定するような結果になってしまうというのが、批判する側がアホなのか橋下氏がすごいのかは知らんが見ていてイライラするところ
そしてこういう事を書くと「橋下の手先!慰安婦肯定!」とか言われたりするんだよね
まあ慰安婦肯定っていうか、あのへんの歴史は色々思うことがあるわけで
あれって俗説を鵜呑みにするなら、要は無理矢理つれてかれて慰み者にされたから謝罪と賠償を!って話じゃん
それはまあ謝罪と賠償をされてしかるべきだと思うが、
その戦争では無理矢理連れて行かれて死に追いやられた人たちも大量にいるんだぞ
女性からしたらレイプの方がいっそ殺されるより心の傷が…というのは分からなくもない、が、それは死刑廃止よりも終身刑みたいな世の中の流れには反するぞ
徴兵を受けたのは日本国民だからしかたない、というロジックも成立しない。
なぜなら、ワタミの正社員だから過労死してもしかたない、とはならないからだ。
慰安婦も被害者だろうが、戦争の被害者は大量にいるのであって、謝罪も賠償も現実的ではないよなっていうのが個人的な意見
じゃーどうするのっていうのは政治の話だから色々主張することも悪いとは思わないけど
慰安婦問題ばかり過敏に反応するのはどうかと思うよね。
靖国問題に至ってはそういう無理矢理死なされた人たちの事をボロクソいうくせに。
あと坊主を叩く為に袈裟を利用する橋下嫌いの人たちも袈裟扱いされた人たちに失礼だとおもわんのか
そんなかんじのことをおもったりしました
ところでadobeの月額制というか、月額制サービス全般は使わなければ使わないほど損をするというけったいな仕組みなのでやめてほしいです
オンラインゲーなんか遊べば遊ぶほど安くて楽しいってそれ時間取れない人が定着するわけないじゃん
スポーツジムとか飲み放題なんかは想定される一般的な利用量から金額割り出してる感じがあるけどさあ
おまえら何と戦ってるんだレベルに感じます
まず、橋下氏の立場として、軍またはそれに準ずる立場からの主導による従軍慰安婦なるものは存在したという前提で話を進めてるよね。
談話見直しに言及してるから全体として矛盾はしてるんだけど、
今回の話についてはこの前提で進んでいるはず。
まずこの前提を否定するのであれば「慰安婦など存在しない」または「軍の主導ではなかった」という事になる。
次に一番取りざたされてる「慰安婦は必要だった」という発言。
これはどう読んでも「戦争中は必要だった」という話で、拡大解釈したとしても「男、特に軍人には慰安婦が必要」という言い回しになる。
これを否定するなら「慰安婦が必要とされたことなどない」となり、必要ないものが存在するわけがないので「慰安婦など存在しない」となってしまう。
あるいは「軍人や男が性欲の塊みたいな表現は軍人・男性蔑視」といった批判であれば真っ当と思うが「女性が被害に遭う」という文脈で女性蔑視という考えが出てくるのは意味不明。
ねじ曲げて「男にとって女は慰安婦だ!慰安婦を現代に!」という主張だと解釈してるなら、それは橋下ではなくお前の頭を批判した方がいい。
ツイッターでも書いたけど「江戸時代はホモが当たり前」って言ったら「お前はホモだったのか!」と言われるレベルの意味不明なやりとりに見える。
事実と当人の思想は無関係だろうに
あとは「米軍は風俗使え」か。
これ「レイプするならエロ本読んでろ!」っていうただの煽りなんだけど
アメリカの反応が「エロ本は禁止しているし、エロい軍人などいない」っていうのは笑うところだよね。レイプしてるのに。
橋下憎しの方々は「橋下のせいでアメリカ激怒!外交問題!」とか言ってるけど、これに関してはおかしいのはどっちだよ。
これもアメリカ擁護側に立つとレイプOKってことになっちゃうんだよね
まあ煽りじゃなくてもっとマシな案出せっていえばもっともなんだけど
マシな案どころか野放しにしてる当人を擁護してまで批判するようなことでもないだろうよ
といった感じで、まあ、ああいう地位の高い人が俺みたいなノリで省もない発言を連発してしまうと言う、その姿勢自体は批判を受けるに値するとは思うが、内容自体は割と考えて言ってると思われるので、下手に一部を抜き出して批判すると以上のように本来主張したかった事を否定するような結果になってしまうというのが、批判する側がアホなのか橋下氏がすごいのかは知らんが見ていてイライラするところ
そしてこういう事を書くと「橋下の手先!慰安婦肯定!」とか言われたりするんだよね
まあ慰安婦肯定っていうか、あのへんの歴史は色々思うことがあるわけで
あれって俗説を鵜呑みにするなら、要は無理矢理つれてかれて慰み者にされたから謝罪と賠償を!って話じゃん
それはまあ謝罪と賠償をされてしかるべきだと思うが、
その戦争では無理矢理連れて行かれて死に追いやられた人たちも大量にいるんだぞ
女性からしたらレイプの方がいっそ殺されるより心の傷が…というのは分からなくもない、が、それは死刑廃止よりも終身刑みたいな世の中の流れには反するぞ
徴兵を受けたのは日本国民だからしかたない、というロジックも成立しない。
なぜなら、ワタミの正社員だから過労死してもしかたない、とはならないからだ。
慰安婦も被害者だろうが、戦争の被害者は大量にいるのであって、謝罪も賠償も現実的ではないよなっていうのが個人的な意見
じゃーどうするのっていうのは政治の話だから色々主張することも悪いとは思わないけど
慰安婦問題ばかり過敏に反応するのはどうかと思うよね。
靖国問題に至ってはそういう無理矢理死なされた人たちの事をボロクソいうくせに。
あと坊主を叩く為に袈裟を利用する橋下嫌いの人たちも袈裟扱いされた人たちに失礼だとおもわんのか
そんなかんじのことをおもったりしました
ところでadobeの月額制というか、月額制サービス全般は使わなければ使わないほど損をするというけったいな仕組みなのでやめてほしいです
オンラインゲーなんか遊べば遊ぶほど安くて楽しいってそれ時間取れない人が定着するわけないじゃん
スポーツジムとか飲み放題なんかは想定される一般的な利用量から金額割り出してる感じがあるけどさあ
ニコ動の歌い手が捕まった件は、数回関係を持っているらしいのにブサイクにレイプされたから通報したんだ!みたいな扱いになってるのとかなんじゃこれっていうのはあるんだが、
そんなことより、その捕まった人がツクールの人たちの間でもよく名前が挙がる比較的有名な音楽素材サイトの管理人だったということが割と身近でびっくりしたという話と、それにも関わらず彼が「音楽家」として紹介されたことに対し「歌い手は音楽家じゃない」などと当人どうこうじゃなく単なる「歌い手」批判の対象にされているのがお前らがさんざんされたオタク批判の構図そのものじゃねえかっていう
最近年取ったせいかよくあるんだが、昔「大人は分かってくれない!」みたいなことをほざいて粋がってた人たちが社会に出ると「最近の若者は……」みたいなことを言い出すようになって、あれってどうして変わってしまうのだろうと思ってたんだけど、要するに「若者は分かってくれない」と言ってるだけで常に他人に理解を求めて自らが理解しないというか、本質は変わってないんだよな
それで上に不満があるうちはいいけど、下に不満を持つと力で抑え付けることができるから、暴力の連鎖みたいな事態が発生するというわけだ
そしてきっと上司は分かってくれない!とかいって上にも不満を持ち続けるんだろうね
小学生が携帯…小学生がSNS…規制…みたいな話なんかも聞く度にお前らそうやって漫画とかゲームとか規制されてきたんだろうが!って思うんだけど
いや、漫画やゲームとネットは違う!ってもう完全に小説は良いけど漫画はダメ!みたいな発想になっててこうやってああいう訳の分からん規制は生まれたんだなあと言うのも分かってくるよね
要するに大人って言うのは意外と物を知らないし、自分の知らないことを知っている子供が怖いのさ
何の話だったかい
そうピチピチの女子高生を食っちまうなんてうらやましい話だねーシコシコ
そんなことより、その捕まった人がツクールの人たちの間でもよく名前が挙がる比較的有名な音楽素材サイトの管理人だったということが割と身近でびっくりしたという話と、それにも関わらず彼が「音楽家」として紹介されたことに対し「歌い手は音楽家じゃない」などと当人どうこうじゃなく単なる「歌い手」批判の対象にされているのがお前らがさんざんされたオタク批判の構図そのものじゃねえかっていう
最近年取ったせいかよくあるんだが、昔「大人は分かってくれない!」みたいなことをほざいて粋がってた人たちが社会に出ると「最近の若者は……」みたいなことを言い出すようになって、あれってどうして変わってしまうのだろうと思ってたんだけど、要するに「若者は分かってくれない」と言ってるだけで常に他人に理解を求めて自らが理解しないというか、本質は変わってないんだよな
それで上に不満があるうちはいいけど、下に不満を持つと力で抑え付けることができるから、暴力の連鎖みたいな事態が発生するというわけだ
そしてきっと上司は分かってくれない!とかいって上にも不満を持ち続けるんだろうね
小学生が携帯…小学生がSNS…規制…みたいな話なんかも聞く度にお前らそうやって漫画とかゲームとか規制されてきたんだろうが!って思うんだけど
いや、漫画やゲームとネットは違う!ってもう完全に小説は良いけど漫画はダメ!みたいな発想になっててこうやってああいう訳の分からん規制は生まれたんだなあと言うのも分かってくるよね
要するに大人って言うのは意外と物を知らないし、自分の知らないことを知っている子供が怖いのさ
何の話だったかい
そうピチピチの女子高生を食っちまうなんてうらやましい話だねーシコシコ
昔hiroさんの情報サイトに掲載された時、「フロンティア病院更新」とか「「ウンコ」掲載」みたいな見出しをつけられて3アクセスぐらいしか無かったんだけど、今回は記事タイトルが良かったのか「アークの新しい曲掲載」という意味が通じる見出しになり、その結果えらいアクセスが多くてリレクプの底力を思い知りましたね
まあ「アークの新しい曲」は本文通り「キマイラの新しい城」が元ネタなんですけど
要するに更新内容にちょっと触れてあげるとアクセスに結びついて情報サイトとしてレプリクの価値がぐんぐんアップするのではないかなって前に書いた気がする
ところでインターネットの女の子にプリクレ!って言ったらブロックされました
ひどいサイト名じゃないですか!
まあ「アークの新しい曲」は本文通り「キマイラの新しい城」が元ネタなんですけど
要するに更新内容にちょっと触れてあげるとアクセスに結びついて情報サイトとしてレプリクの価値がぐんぐんアップするのではないかなって前に書いた気がする
ところでインターネットの女の子にプリクレ!って言ったらブロックされました
ひどいサイト名じゃないですか!
最近ずっと体調悪くて土日は割とピークだったんでもうすぐ死にそうなんですが、そんな中季節物なのでなんとか頑張って動画を作りました
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20474334
おかげさまで好評のようで嬉しいです。いかにもアークくさいロックなので是非聞いてください。
テトさんもあちらこちらで登場する機会も増えてますます盛況ですね。
http://frontier.diarynote.jp/200511301803270000/
ぼくと殊能将之さんの出会いはこのときからなんだけど、以来毎度繰り返される定番パロディネタと、それを下敷きにした新しい展開にすっかりファンになってしまい、好きなミステリ作家と言えば真っ先に殊能将之を挙げるぐらいになり、新作を楽しみにしていた矢先の訃報
ホーガン先生とかブラッドベリとか(敬称に深い意味はない)訃報から出会った作者もいるんだけど、そういう人たちと同じように歴史上の人物・作品になってしまったのだなあと思ったりなんかしたり
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19646026
内容的に原作側のネタバレになるので詳しくは解説しないんですが、この前出したコピーキャットという曲は殊能将之作品他ミステリへのオマージュになってます
追悼なんやらってのもあれですが便乗して宣伝ということで
おれが上記の先生方に出会ったように、これはこれできっかけに作品が再版でもされて出会う人が増えてもらえばまあなんだ
http://www.nicovideo.jp/watch/sm20474334
おかげさまで好評のようで嬉しいです。いかにもアークくさいロックなので是非聞いてください。
テトさんもあちらこちらで登場する機会も増えてますます盛況ですね。
http://frontier.diarynote.jp/200511301803270000/
ぼくと殊能将之さんの出会いはこのときからなんだけど、以来毎度繰り返される定番パロディネタと、それを下敷きにした新しい展開にすっかりファンになってしまい、好きなミステリ作家と言えば真っ先に殊能将之を挙げるぐらいになり、新作を楽しみにしていた矢先の訃報
ホーガン先生とかブラッドベリとか(敬称に深い意味はない)訃報から出会った作者もいるんだけど、そういう人たちと同じように歴史上の人物・作品になってしまったのだなあと思ったりなんかしたり
http://www.nicovideo.jp/watch/sm19646026
内容的に原作側のネタバレになるので詳しくは解説しないんですが、この前出したコピーキャットという曲は殊能将之作品他ミステリへのオマージュになってます
追悼なんやらってのもあれですが便乗して宣伝ということで
おれが上記の先生方に出会ったように、これはこれできっかけに作品が再版でもされて出会う人が増えてもらえばまあなんだ
この前の怒り心党だったと思うが、「仕事を手伝わないで帰る奴は死ね!」みたいな話題があった。あれは全く同意できないので自分の考えを書いておきたい。
いくつか例え話で進めるが、そういうことを言う奴はおそらく豊かな国に生まれながらアフリカの貧しい子供達に募金しない奴は死ね!と言いたいのだと思う。それはまあ理解できなくもない。
しかし、この場合場所は職場で、助け合うのは同僚、つまり、こういうことにならないだろうか。
学校のテストで100点を取った俺。隣の席に0点の奴がいた。俺は高得点で嬉しいし、早く帰ってママに報告しようと思ったら「目の前に0点の奴がいるのに勉強を教えない奴は死ね!」と言われて悪者にされた。
会社は利益を上げなければならないから、お前が100点を取ったからそれでいいってわけじゃない、会社に貢献しろ、という意見もあるかもしれない。
だとすれば、まずその同僚に0点しか取れない仕事を与えている人間はどうなんだ。
学校のたとえで言うなら、教師の存在を無視して、生徒同士で助け合わないのが悪い!クラスの平均点を上げようという自覚がないのか!というのはお門違いに思える。
だいたいアフリカの貧しい子供だって、金を貰って生かされたところでそれがなんだって話で、社会的には経済活動とかに貢献して欲しいし、人道的にはもっと幸福になれる道とかそういうのを示すべきで、闇雲に金出せばいいってものではない。
それに金を出す、助けるという行為は上から目線だ。お前0点だから100点の俺が教えてやるよ!みたいな状況を受け入れてしまうのか。
0点の奴を助けるとしても、見下さないためには何らかの対価を払うべきだろうし、見下されて構わないならお前でも点数が取れる小学校のさんすうでもやってろって話になる。
とにかく、お前の仕事ができないのはお前かお前に仕事を与えた人間の問題であって、それに周囲が助け船を出すことは、問題を放置してその場しのぎの解決で済ませてしまうにすぎない。
そして問題が解決したことにより、問題はないと見なされ、いつまで経っても何も改善せず、お前ばかりか周囲の人間までもが疲弊していくだけで全く良いことがないんだ。
わかったかアークよ
//
広島の原爆資料館でグロ人形が怖いから撤去されたという話で、俺と同意見の人がまとめスレでもスルーされていたりして思うところがあるので、これもまとめておきたい。
まず、ああいう展示の意図は「原爆を使うとこうなる。怖いだろう!」というものだと多くの人が受け止めているのは間違いないだろう。
それは今回の話で、あれは怖い物だろ!みたいな反応が多いことでも分かる。
だが、原爆を使うとこんなにグロい!→原爆ダメ!!となるのか?
もしそれが事実であれば、戦場で人を撃って死体が転がった、それを見た時点で「死体がグロい!戦争ダメ!」となって戦争終わるだろ。
それにショックの大きい画像で心を動かそうっていうのはいわば「お化けが出るから原爆はダメ!」みたいなもので、思い出すだけで吐き気がするから原爆はダメ!ってなったとしてもそれは何の解決にもならん。
もはや「夜爪を切ると親の死に目に会えない」みたいな類の話と思うが、それも迷信ばかりが一人歩きしていて、当初の意味を伝えた方がむしろ分かりやすい。
方便ってこともあるだろうが、そういう話の恐怖で人を縛り付けて何かを禁止する、というレベルの行為を、戦争反対みたいな世界的なテーマでやってるっていうのがもうダサいし、その行為は「○○したら殴られて痛いですよ」みたいな体罰と何が違うのかという感じ。
罰すること自体はまた別のトピックで語られるべきだけど、つまり「平和教育」っていうのは人間を罰してるわけだよ。それって教育なの?
ビブリアの影響で読んだ「時計仕掛けのオレンジ」がまさにそういう話で、平和な人間を作るために暴力的な画像を見せて嫌悪感を催させる(もうちょっと入り組んだ仕組みがある)というシーンが出てくる。
作品としては結局それが悪だった、っていう方向になるんだけど、現実でも実際にこういうことやってるわけだし、それでいいのかって思うところもある。
この作品の主人公は日本の暗喩です、みたいな言い方をしても通じてしまいそうなところが後味が悪い。
そういうわけで、以上を踏まえて人形の撤去自体は賛同というか、より本質的な教育をするために恐怖が障害となっていると言うことであれば、それは英断だったと思う。
ただ一方で批判されてるような、クレーム来たから何も考えずにやめましたwwwwwみたいなゆとりネタにも思えるので、そのへん当人がどう考えているのかは分からないので何とも言えないところ。
俺自身はグロ画像を見せられたりお涙頂戴のエロゲみたいな話を聞かされるより、実際に使われていた防空壕の狭さだったり、国を何一つ批判しない特攻隊の手紙(もちろん、検閲などの都合で批判できなかったり、批判があった上でも万歳みたいな背景がくみ取れるということだ)を読んだ時のほうが心に残ったので、グロ画像教育はやめた方が良い。
というか学生時代に修学旅行でその手の施設に行くからみたいな話でグロ画像見せられたんだけど、当時から2chに入り浸っていた俺は当然モーターサイクルwwwwwとか言って仲間内で笑いのネタにしていたので、やっぱり意味無いどころか、グロさだけを強調して見せつける薄っぺらな教育っていうのは死者にも誰にも失礼なだけだよね。
わかったかアークよ
いくつか例え話で進めるが、そういうことを言う奴はおそらく豊かな国に生まれながらアフリカの貧しい子供達に募金しない奴は死ね!と言いたいのだと思う。それはまあ理解できなくもない。
しかし、この場合場所は職場で、助け合うのは同僚、つまり、こういうことにならないだろうか。
学校のテストで100点を取った俺。隣の席に0点の奴がいた。俺は高得点で嬉しいし、早く帰ってママに報告しようと思ったら「目の前に0点の奴がいるのに勉強を教えない奴は死ね!」と言われて悪者にされた。
会社は利益を上げなければならないから、お前が100点を取ったからそれでいいってわけじゃない、会社に貢献しろ、という意見もあるかもしれない。
だとすれば、まずその同僚に0点しか取れない仕事を与えている人間はどうなんだ。
学校のたとえで言うなら、教師の存在を無視して、生徒同士で助け合わないのが悪い!クラスの平均点を上げようという自覚がないのか!というのはお門違いに思える。
だいたいアフリカの貧しい子供だって、金を貰って生かされたところでそれがなんだって話で、社会的には経済活動とかに貢献して欲しいし、人道的にはもっと幸福になれる道とかそういうのを示すべきで、闇雲に金出せばいいってものではない。
それに金を出す、助けるという行為は上から目線だ。お前0点だから100点の俺が教えてやるよ!みたいな状況を受け入れてしまうのか。
0点の奴を助けるとしても、見下さないためには何らかの対価を払うべきだろうし、見下されて構わないならお前でも点数が取れる小学校のさんすうでもやってろって話になる。
とにかく、お前の仕事ができないのはお前かお前に仕事を与えた人間の問題であって、それに周囲が助け船を出すことは、問題を放置してその場しのぎの解決で済ませてしまうにすぎない。
そして問題が解決したことにより、問題はないと見なされ、いつまで経っても何も改善せず、お前ばかりか周囲の人間までもが疲弊していくだけで全く良いことがないんだ。
わかったかアークよ
//
広島の原爆資料館でグロ人形が怖いから撤去されたという話で、俺と同意見の人がまとめスレでもスルーされていたりして思うところがあるので、これもまとめておきたい。
まず、ああいう展示の意図は「原爆を使うとこうなる。怖いだろう!」というものだと多くの人が受け止めているのは間違いないだろう。
それは今回の話で、あれは怖い物だろ!みたいな反応が多いことでも分かる。
だが、原爆を使うとこんなにグロい!→原爆ダメ!!となるのか?
もしそれが事実であれば、戦場で人を撃って死体が転がった、それを見た時点で「死体がグロい!戦争ダメ!」となって戦争終わるだろ。
それにショックの大きい画像で心を動かそうっていうのはいわば「お化けが出るから原爆はダメ!」みたいなもので、思い出すだけで吐き気がするから原爆はダメ!ってなったとしてもそれは何の解決にもならん。
もはや「夜爪を切ると親の死に目に会えない」みたいな類の話と思うが、それも迷信ばかりが一人歩きしていて、当初の意味を伝えた方がむしろ分かりやすい。
方便ってこともあるだろうが、そういう話の恐怖で人を縛り付けて何かを禁止する、というレベルの行為を、戦争反対みたいな世界的なテーマでやってるっていうのがもうダサいし、その行為は「○○したら殴られて痛いですよ」みたいな体罰と何が違うのかという感じ。
罰すること自体はまた別のトピックで語られるべきだけど、つまり「平和教育」っていうのは人間を罰してるわけだよ。それって教育なの?
ビブリアの影響で読んだ「時計仕掛けのオレンジ」がまさにそういう話で、平和な人間を作るために暴力的な画像を見せて嫌悪感を催させる(もうちょっと入り組んだ仕組みがある)というシーンが出てくる。
作品としては結局それが悪だった、っていう方向になるんだけど、現実でも実際にこういうことやってるわけだし、それでいいのかって思うところもある。
この作品の主人公は日本の暗喩です、みたいな言い方をしても通じてしまいそうなところが後味が悪い。
そういうわけで、以上を踏まえて人形の撤去自体は賛同というか、より本質的な教育をするために恐怖が障害となっていると言うことであれば、それは英断だったと思う。
ただ一方で批判されてるような、クレーム来たから何も考えずにやめましたwwwwwみたいなゆとりネタにも思えるので、そのへん当人がどう考えているのかは分からないので何とも言えないところ。
俺自身はグロ画像を見せられたりお涙頂戴のエロゲみたいな話を聞かされるより、実際に使われていた防空壕の狭さだったり、国を何一つ批判しない特攻隊の手紙(もちろん、検閲などの都合で批判できなかったり、批判があった上でも万歳みたいな背景がくみ取れるということだ)を読んだ時のほうが心に残ったので、グロ画像教育はやめた方が良い。
というか学生時代に修学旅行でその手の施設に行くからみたいな話でグロ画像見せられたんだけど、当時から2chに入り浸っていた俺は当然モーターサイクルwwwwwとか言って仲間内で笑いのネタにしていたので、やっぱり意味無いどころか、グロさだけを強調して見せつける薄っぺらな教育っていうのは死者にも誰にも失礼なだけだよね。
わかったかアークよ
最近日記を更新してないから何やってるの!?死んだの!?という喜びのお便りが大量に来まして。
詳しくはツイッターの方をご覧ください!と言われてノコノコ俺の発言履歴を読むとキチガイか病人かっていう本人が引くぐらいトチ狂った奇声の数々を見せられるので覚悟して頂きたい。
もうみんなわかってるだろうけどフロンティア病院とはつまり
さて、誰も気づいてないと思いますが最近ホームページの方のデザインを変えまして、
ツイッターブートストラップなるCSSフレームワークを何のカスタマイズもせずに使ったところすげーありがちなベタデザインとなりました。
そして誰も気づいてないと思いますが創作支援ツールなる謎のコーナーが誕生。
誰も覚えてないと思いますがあの懐かしのネームファクトリーがWebツールになって帰ってきました!
Webツールという特性を生かしてこれから徐々に原作同様にマニアックな機能を追加していきます。
いわゆるアジャイル開発というやつですジャイ
さて何かまともなことを書かないと怒られそうなので、今日は皆さんにオススメのCDを紹介します。
http://urmx.info/release_011.html
その名もDancing In The Snow feat. 雪歌ユフ
そうボーカロイドみたいなやつのCDです
この曲に入っている「好奇心と機会」という曲がなんと火星探査機とブラッドベリの火星年代記をテーマにした楽曲になっているらしく、
誰が作ったか知りませんがすごいカッコイイ曲です。誰が作ったか知りませんが。
誰か知らない人がCDのために書き下ろしたらしく、
本当に誰が作ったか知りませんがアーク節が炸裂していて大変おすすめの一曲です。
アニメイトとかで売ってるのでどうかアーク教のお布施と思って購入ください
このCD関連では四月ぐらいにまたなんかあるらしいので楽しみですね
ああ、それから最近ダイアリーノートのアクセスが増えてウヘホヒハみたいな話を見掛けたけどその日のリンク元見るとスパムみたいなのが大量にあったからそういうことだとおもうよ!
あと"型なし言語"は実際型無しでもないし型指定が無いとinterfaceでメソッド利用制限とかできないので俺は好きではありませんみたいな事を書こうと思ったけど飽きたのでさようなら
詳しくはツイッターの方をご覧ください!と言われてノコノコ俺の発言履歴を読むとキチガイか病人かっていう本人が引くぐらいトチ狂った奇声の数々を見せられるので覚悟して頂きたい。
もうみんなわかってるだろうけどフロンティア病院とはつまり
さて、誰も気づいてないと思いますが最近ホームページの方のデザインを変えまして、
ツイッターブートストラップなるCSSフレームワークを何のカスタマイズもせずに使ったところすげーありがちなベタデザインとなりました。
そして誰も気づいてないと思いますが創作支援ツールなる謎のコーナーが誕生。
誰も覚えてないと思いますがあの懐かしのネームファクトリーがWebツールになって帰ってきました!
Webツールという特性を生かしてこれから徐々に原作同様にマニアックな機能を追加していきます。
いわゆるアジャイル開発というやつですジャイ
さて何かまともなことを書かないと怒られそうなので、今日は皆さんにオススメのCDを紹介します。
http://urmx.info/release_011.html
その名もDancing In The Snow feat. 雪歌ユフ
そうボーカロイドみたいなやつのCDです
この曲に入っている「好奇心と機会」という曲がなんと火星探査機とブラッドベリの火星年代記をテーマにした楽曲になっているらしく、
誰が作ったか知りませんがすごいカッコイイ曲です。誰が作ったか知りませんが。
誰か知らない人がCDのために書き下ろしたらしく、
本当に誰が作ったか知りませんがアーク節が炸裂していて大変おすすめの一曲です。
アニメイトとかで売ってるのでどうかアーク教のお布施と思って購入ください
このCD関連では四月ぐらいにまたなんかあるらしいので楽しみですね
ああ、それから最近ダイアリーノートのアクセスが増えてウヘホヒハみたいな話を見掛けたけどその日のリンク元見るとスパムみたいなのが大量にあったからそういうことだとおもうよ!
あと"型なし言語"は実際型無しでもないし型指定が無いとinterfaceでメソッド利用制限とかできないので俺は好きではありませんみたいな事を書こうと思ったけど飽きたのでさようなら
突然炎上マーケティングにガッツリ釣られて乗っかってしまうことを容赦頂きたいが、
Dancing Dollsというアイドルグループがすごいのだ
ちょっとまえに松屋で飯食ってたら「タッチ」のカバーと思われる曲が流れてきたんだが、
カバーと思いきや全然別の曲で、キメの部分の一部だけ原曲(しかもしょっぱいコピー)を拾ってきているせいで
その原曲の一部分から期待される次のフレーズがことごとく外されていたりして
なんとも原曲破壊な気持ち悪い曲で、むしろ中途半端に既存曲を持ってきたことで大失敗しているというとんでもない曲で、
これを歌っていたのがDancing Dollsというグループだったのだ
アイドルには全く興味のない、ももか推しの俺ですがこれはさすがに無いというか
youtubeとかで聞いて貰えば分かると思うんだけど、明らかに以上のような感想を言わせようという魂胆が見え隠れしていて可哀想な売り方だなと思っていた。
ちなみにこれがファーストシングルの模様
そして数ヶ月、また松屋で飯食ってたら「踊る大捜査線」のカバーと思われる曲が流れてきた
これがもう原曲(しかもしょっぱいコピー)を使う意味がないというか、使ったことで却って劣化してるような曲になっていて、
それを聞いた俺は直感的に「タッチの奴だ!」と思い、まんまと釣られてググったところ本当にDancing Dollsのセカンドシングルだったというわけだ
こいつらの何がすごいかというと、たった二曲で「ウンコみたいな原曲破壊カバー=Dancing Dolls」という認識を俺に植え付けてしまったところだ
過去の日記にあるように、ビブリアドラマみたいな原作破壊系のゴミなんかを見ても「あっこれ三谷幸喜だ!クドカンだ!」みたいな事を思うことは無いんだけど、この人達はそこで「あっDancing Dollsだ!」と思わせているのだ
マイナス面を逆手に取ったオリジナリティの演出という逆転の発想に思わずニヤリですね
ところで、昔FFメドレーを作ろう!と思ったことがあって持ってるピアノ楽譜をもとに下書きを作るところまでいったんだけど、ふと聞き直すとすごいイライラするようなメドレーになっていて、それが何故かというと、
「ロックのテーマのサビの部分で暁の戦士に切り替わったら面白いだろう!」みたいな事を考えながら作っていた(たぶんFF6のエンディングテーマの進行あたりの影響)んだが、それが結果的に面白いどころか、おいしい部分をことごとく外した内容になっていたのだ。
水戸黄門が印籠を出すかと思いきや諸肌脱いで桜吹雪がどうのとか言いながら敵に斬りかかっていくようなもので、本当に水戸黄門好きならそんな脚本書かないでしょ!という話なんだが、本当にFFが好きな俺がそういうことをしていたのだ
当然それは俺が素人だから自己満足でやってしまった失敗なんだけど、こういうクソ曲やクソドラマが出来る時って、わざとじゃないとしたら実はそういうことなのかなあと思うこともあります。
なお、DancingDollsの女の子についてはかわいいです。
桜組ぐらいには活躍してくれることを期待します。
桜組ってどこからどう見ても売り上げを考えない金持ちの道楽に見えたのに
売れない事を理由に突然活動休止したのが斬新すぎてびっくりした
いや売れねえだろなんだよアラブのくのいちって
Dancing Dollsというアイドルグループがすごいのだ
ちょっとまえに松屋で飯食ってたら「タッチ」のカバーと思われる曲が流れてきたんだが、
カバーと思いきや全然別の曲で、キメの部分の一部だけ原曲(しかもしょっぱいコピー)を拾ってきているせいで
その原曲の一部分から期待される次のフレーズがことごとく外されていたりして
なんとも原曲破壊な気持ち悪い曲で、むしろ中途半端に既存曲を持ってきたことで大失敗しているというとんでもない曲で、
これを歌っていたのがDancing Dollsというグループだったのだ
アイドルには全く興味のない、ももか推しの俺ですがこれはさすがに無いというか
youtubeとかで聞いて貰えば分かると思うんだけど、明らかに以上のような感想を言わせようという魂胆が見え隠れしていて可哀想な売り方だなと思っていた。
ちなみにこれがファーストシングルの模様
そして数ヶ月、また松屋で飯食ってたら「踊る大捜査線」のカバーと思われる曲が流れてきた
これがもう原曲(しかもしょっぱいコピー)を使う意味がないというか、使ったことで却って劣化してるような曲になっていて、
それを聞いた俺は直感的に「タッチの奴だ!」と思い、まんまと釣られてググったところ本当にDancing Dollsのセカンドシングルだったというわけだ
こいつらの何がすごいかというと、たった二曲で「ウンコみたいな原曲破壊カバー=Dancing Dolls」という認識を俺に植え付けてしまったところだ
過去の日記にあるように、ビブリアドラマみたいな原作破壊系のゴミなんかを見ても「あっこれ三谷幸喜だ!クドカンだ!」みたいな事を思うことは無いんだけど、この人達はそこで「あっDancing Dollsだ!」と思わせているのだ
マイナス面を逆手に取ったオリジナリティの演出という逆転の発想に思わずニヤリですね
ところで、昔FFメドレーを作ろう!と思ったことがあって持ってるピアノ楽譜をもとに下書きを作るところまでいったんだけど、ふと聞き直すとすごいイライラするようなメドレーになっていて、それが何故かというと、
「ロックのテーマのサビの部分で暁の戦士に切り替わったら面白いだろう!」みたいな事を考えながら作っていた(たぶんFF6のエンディングテーマの進行あたりの影響)んだが、それが結果的に面白いどころか、おいしい部分をことごとく外した内容になっていたのだ。
水戸黄門が印籠を出すかと思いきや諸肌脱いで桜吹雪がどうのとか言いながら敵に斬りかかっていくようなもので、本当に水戸黄門好きならそんな脚本書かないでしょ!という話なんだが、本当にFFが好きな俺がそういうことをしていたのだ
当然それは俺が素人だから自己満足でやってしまった失敗なんだけど、こういうクソ曲やクソドラマが出来る時って、わざとじゃないとしたら実はそういうことなのかなあと思うこともあります。
なお、DancingDollsの女の子についてはかわいいです。
桜組ぐらいには活躍してくれることを期待します。
桜組ってどこからどう見ても売り上げを考えない金持ちの道楽に見えたのに
売れない事を理由に突然活動休止したのが斬新すぎてびっくりした
いや売れねえだろなんだよアラブのくのいちって
http://crepre.diarynote.jp/201212092155526586/
なんかよくわからんことを書いてる人がいるぞ!
それはともかく、その記事がキッカケかどうかは知らないけど
丁度似たような事を考えていて
最近のライトノベルのタイトルが異常に説明的でワロスwwwwとかいうあれが
要するに「スレイヤーズ」とか「ロードス島戦記」みたいなタイトルが市場に溢れてしまったことでそういうタイトルにしないと目を引かなくなってしまったんだろうかとかそういうことを思っていた
「ドラゴンクエスト」も今出すなら「王の命令で姫を助けて竜王を倒すしかない!」みたいなタイトルになるんじゃないか
とまあそんな自分で言ってておもしろくない話はさておき
抽象的なタイトル→説明的なタイトルへのシフトがどんどん進んでいるが、
この先どうなるんだろうか?
より説明的になってタイトルだけで大体の内容が分かってしまったその先にどんなタイトルが産み出されるのか
それを考えていかないと時代に乗り遅れてしまうのではないか
「さくら」という曲がいっぱいあるように差別化を図らなくても記号的な意味があればいいやみたいになって結局ベタイトルに落ち着くんじゃねーかなーとは思ってるけど
ところで最近めちゃくちゃおもしろいゲームにはまってるのでクリアするまで面白かったら今度感想かきますね^O^O^O^
あーねみー
あとバルテリボッタスって名前がかっこよすぎて卑怯
なんかよくわからんことを書いてる人がいるぞ!
それはともかく、その記事がキッカケかどうかは知らないけど
丁度似たような事を考えていて
最近のライトノベルのタイトルが異常に説明的でワロスwwwwとかいうあれが
要するに「スレイヤーズ」とか「ロードス島戦記」みたいなタイトルが市場に溢れてしまったことでそういうタイトルにしないと目を引かなくなってしまったんだろうかとかそういうことを思っていた
「ドラゴンクエスト」も今出すなら「王の命令で姫を助けて竜王を倒すしかない!」みたいなタイトルになるんじゃないか
とまあそんな自分で言ってておもしろくない話はさておき
抽象的なタイトル→説明的なタイトルへのシフトがどんどん進んでいるが、
この先どうなるんだろうか?
より説明的になってタイトルだけで大体の内容が分かってしまったその先にどんなタイトルが産み出されるのか
それを考えていかないと時代に乗り遅れてしまうのではないか
「さくら」という曲がいっぱいあるように差別化を図らなくても記号的な意味があればいいやみたいになって結局ベタイトルに落ち着くんじゃねーかなーとは思ってるけど
ところで最近めちゃくちゃおもしろいゲームにはまってるのでクリアするまで面白かったら今度感想かきますね^O^O^O^
あーねみー
あとバルテリボッタスって名前がかっこよすぎて卑怯
最近見掛けた面白そうなトピックから
A「曲作って下さい」
B「一曲10万円になります」
A「ふざけんな、タダでやってくれる人がいるのでそっちに行きます」
A「みんな!Bみたいなクソに依頼するなよ!タダでやってくれる人もいるよ!」
なんかこんなような話。
実際、タダでやってくれる人はいるのでAの行動は別に良いと思うんだけど、
Bが批判される理由は特に無いはずだ。
この手の批判は「タダでやらせる女もいるんだからお前もセックスさせろ!」って言ってるのと同じでなんとも品がない
そもそも、タダでやらせる女で換えがきくなら、やれれば誰でもいいって話だろうし
本当にその人に協力して欲しいなら、他より厳しい条件でもなんとかしようとするだろう
要するに上の例で言うならAはBの曲が欲しい!と思っていたのではなく、
単なる便利屋が欲しかったにすぎない
上の例だと極端すぎるけど、「千円ぐらいなら払えますが…」みたいな話は割とあって
そこは自己評価と他者評価の違いだからなかなか面白いところがある
タダでやらせろ!は蹴られて当然にしても「年収千万以上で親友が百人以上~」みたいな要求が高すぎるのもどうかと思うし、自分の能力に対して適正価格を見つけていく作業っていうのは結構楽しい。
便利屋云々では過去に非常に不愉快な思いをした事があるので、そこそこの金額を示して「それでもアークさんに!」という感じになるかどうかで足きりが出来る点では有償依頼の制度はあっていいし、実際それで誰も頼まなくなったとしても、それはそれで言う分には自由だと思う。
こいつの曲に10万の価値もねーよ!という人はそれまでだし、そうでない人が一人でもいれば、その人同士は良い関係が築ける、誰もいなければ値下げするか消えていくというだけの話にすぎない。
そこでなぜ誰も依頼しないのか!みたいにキレ始めたらボコボコにしていい。
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関連して、フリーの音屋についての話
無料の素材屋じゃなくてフリーランスの方のあれ。
フリーランスのサウンドクリエイターってどんなもんだって話
大嶋さんなんかは所属事務所とかを明示してないからフリーでやってるんじゃないのって思うけど、あれだけの実力があってもあのポジションというのが大体の目安になると思う
なんか未だにBMSとか絡みの「ネット発のサウンドクリエイター」みたいな扱いで
ニコニコ出身の歌手とかの先駆けみたいな売り方されてるのはどうなんだろうな
俺自身はフリーでプロ活動しようなんて全く思わないんだけど、
もし音楽で食ってやろうって思うなら製作会社に入ると思う。
仕事は他人の利益になるようにするもんなので、
他人に取っての何か利益を生んであげないといけない。
音楽製作による利益ってなんだろう?って考えた時、大体次の3つになると思う
1.品質が高い音楽を提供する(質)
2.短期間または安価で音楽を提供する(量)
3.流行にあった人気の音楽を提供する(勢い)
これができれば武器になると考える。下に行くほど重要だと個人的には考えています。
ここで重要なのは、実は2と3は誰にでも出来る上、人数が多いほど安定供給がしやすいということだ。
そうなると製作会社のような形の方がニーズに応えられるし、自分以外の実績も込みで会社の信頼性として安定して仕事を取ってこれる。
そこから入って質の高さを出して行ければ、ブランド性も出てくるよね。
(業界の現状は知らないので、そもそも仕事があって、それを手に入れられるかという前提で書いている)
上の話ともちょっと関係するんだけど、2と3で勝負するならまさに「やらせてくれれば誰でもいい」に近い状態で戦うことになるので、そういう武器を持ってるにしろ、武器に自信が無いにしろ、製作会社に入った方がより力を発揮できるし、そこに入れないほど能力がないならどっちにしろ太刀打ちできないわけだ
とまあ製作会社は無敵!みたいに書いてるけど別にそんなことはないはずなのでそこは差し引いてくれ。所属することで返ってマイナスになる会社だってあるにはあるはずだ。
業界の実情は知らないので、もしかしたらそんな会社だらけかもしれないが、そんな情報まで俺に求めるな
もしどうしてもフリーでやるっていうなら、1の質で勝負ってことになるんだけどそのへんは大嶋さんのネット発みたいな触れ込みと一緒でなんらかの付加価値がないとつらい
そこで3の要素を利用して、ヒット曲を産み出して流行を作ってやる。
流行に乗っかるだけでも実は成功できるんだけど、これはたいがい一発屋になって消えていく。
流行の曲→アークさんの曲→アークさんならなんでもOK みたいな感じで客を掴まないと一曲売れても次の曲はなんか違うからサヨナラってことになる。
ここでいう客っていうのは売り込み先とイコールなので、まあ実態は地道にオーディションとかコンペを回って業界に個性を売っていく作業だと思うんだけど、それなら事務所通した方がコネとかあって早いんじゃないの?っておもってしまったわ。
要は、たとえばニコニコ動画でランキングトップの人たちみたいな連中(今はもう企業の工作とか言われてて、これすら組織に負けてるわけだ)と戦っていくことになるわけで、
ニコニコ動画でランキングにかすりもしない俺みたいなのがフリーで頑張りますとかいっても片腹痛いだけなんじゃねーのっていうかそこで頑張れるならニコニコ動画でランキング入りぐらい余裕じゃねえの?って話
仕事というのは自分を売っていく作業なわけで、それを売る努力ができるなら、きょうびニコ動みたいないい実験場があるんだからフリーになるまでもなく努力をして、そこで手応えを掴んでからフリーになってもいいんじゃないか?
(流行に乗る事を下敷きにしてるから人の多いニコ動を例に出してるけど、上で書いたようなオーディションとかコンペでももちろん良いと思うので、そのへんは置き換えたまえ)
プロになれば売れる!みたいなのは専門学校に入れば出来る!みたいな話で、誰かが教えてくれる・サポートしてくれるから出来る!という他力本願な甘えでしかない。
そういった茨の道を歩くためには準備が必要だし、不安が残るならそれは準備不足の証拠かもしれない。
だから一切準備してない俺はフリーで食うのはいやだなあというふうにおもうわけです。
フリーで成功できる確信がもてるほど何かしらヒットさせたら一瞬で考えを改めるけど。
あと、それほど品質が高くなくて、流行に乗っているわけで無くても、その人(俺のことですが)の作品を気に入ってくれるという人は確実にいるようなので、そう言う方面での新しい販路とかシステムを開拓したりとかっていうのを込みで考えると、上記のような単純な音楽を売るための実力だけで勝ち進むのとは違った仕事ができるかもしれない。
個人的にはそっちなら興味あるな。
AKBの「可愛くない子の可愛くなさを売り上げにつなげる商法」みたいな方向性とかもありそう(俺はAKBや秋元のやり口は好きです)
フリーというよりは起業みたいな話になっちゃうかもしれんけど、やっぱり成功するのは最終的には組織なんじゃないかなあという思い。
でもまあわたしは創作活動については
好き勝手作ってたまに誉められるぐらいがちょうどいいです
A「曲作って下さい」
B「一曲10万円になります」
A「ふざけんな、タダでやってくれる人がいるのでそっちに行きます」
A「みんな!Bみたいなクソに依頼するなよ!タダでやってくれる人もいるよ!」
なんかこんなような話。
実際、タダでやってくれる人はいるのでAの行動は別に良いと思うんだけど、
Bが批判される理由は特に無いはずだ。
この手の批判は「タダでやらせる女もいるんだからお前もセックスさせろ!」って言ってるのと同じでなんとも品がない
そもそも、タダでやらせる女で換えがきくなら、やれれば誰でもいいって話だろうし
本当にその人に協力して欲しいなら、他より厳しい条件でもなんとかしようとするだろう
要するに上の例で言うならAはBの曲が欲しい!と思っていたのではなく、
単なる便利屋が欲しかったにすぎない
上の例だと極端すぎるけど、「千円ぐらいなら払えますが…」みたいな話は割とあって
そこは自己評価と他者評価の違いだからなかなか面白いところがある
タダでやらせろ!は蹴られて当然にしても「年収千万以上で親友が百人以上~」みたいな要求が高すぎるのもどうかと思うし、自分の能力に対して適正価格を見つけていく作業っていうのは結構楽しい。
便利屋云々では過去に非常に不愉快な思いをした事があるので、そこそこの金額を示して「それでもアークさんに!」という感じになるかどうかで足きりが出来る点では有償依頼の制度はあっていいし、実際それで誰も頼まなくなったとしても、それはそれで言う分には自由だと思う。
こいつの曲に10万の価値もねーよ!という人はそれまでだし、そうでない人が一人でもいれば、その人同士は良い関係が築ける、誰もいなければ値下げするか消えていくというだけの話にすぎない。
そこでなぜ誰も依頼しないのか!みたいにキレ始めたらボコボコにしていい。
//
関連して、フリーの音屋についての話
無料の素材屋じゃなくてフリーランスの方のあれ。
フリーランスのサウンドクリエイターってどんなもんだって話
大嶋さんなんかは所属事務所とかを明示してないからフリーでやってるんじゃないのって思うけど、あれだけの実力があってもあのポジションというのが大体の目安になると思う
なんか未だにBMSとか絡みの「ネット発のサウンドクリエイター」みたいな扱いで
ニコニコ出身の歌手とかの先駆けみたいな売り方されてるのはどうなんだろうな
俺自身はフリーでプロ活動しようなんて全く思わないんだけど、
もし音楽で食ってやろうって思うなら製作会社に入ると思う。
仕事は他人の利益になるようにするもんなので、
他人に取っての何か利益を生んであげないといけない。
音楽製作による利益ってなんだろう?って考えた時、大体次の3つになると思う
1.品質が高い音楽を提供する(質)
2.短期間または安価で音楽を提供する(量)
3.流行にあった人気の音楽を提供する(勢い)
これができれば武器になると考える。下に行くほど重要だと個人的には考えています。
ここで重要なのは、実は2と3は誰にでも出来る上、人数が多いほど安定供給がしやすいということだ。
そうなると製作会社のような形の方がニーズに応えられるし、自分以外の実績も込みで会社の信頼性として安定して仕事を取ってこれる。
そこから入って質の高さを出して行ければ、ブランド性も出てくるよね。
(業界の現状は知らないので、そもそも仕事があって、それを手に入れられるかという前提で書いている)
上の話ともちょっと関係するんだけど、2と3で勝負するならまさに「やらせてくれれば誰でもいい」に近い状態で戦うことになるので、そういう武器を持ってるにしろ、武器に自信が無いにしろ、製作会社に入った方がより力を発揮できるし、そこに入れないほど能力がないならどっちにしろ太刀打ちできないわけだ
とまあ製作会社は無敵!みたいに書いてるけど別にそんなことはないはずなのでそこは差し引いてくれ。所属することで返ってマイナスになる会社だってあるにはあるはずだ。
業界の実情は知らないので、もしかしたらそんな会社だらけかもしれないが、そんな情報まで俺に求めるな
もしどうしてもフリーでやるっていうなら、1の質で勝負ってことになるんだけどそのへんは大嶋さんのネット発みたいな触れ込みと一緒でなんらかの付加価値がないとつらい
そこで3の要素を利用して、ヒット曲を産み出して流行を作ってやる。
流行に乗っかるだけでも実は成功できるんだけど、これはたいがい一発屋になって消えていく。
流行の曲→アークさんの曲→アークさんならなんでもOK みたいな感じで客を掴まないと一曲売れても次の曲はなんか違うからサヨナラってことになる。
ここでいう客っていうのは売り込み先とイコールなので、まあ実態は地道にオーディションとかコンペを回って業界に個性を売っていく作業だと思うんだけど、それなら事務所通した方がコネとかあって早いんじゃないの?っておもってしまったわ。
要は、たとえばニコニコ動画でランキングトップの人たちみたいな連中(今はもう企業の工作とか言われてて、これすら組織に負けてるわけだ)と戦っていくことになるわけで、
ニコニコ動画でランキングにかすりもしない俺みたいなのがフリーで頑張りますとかいっても片腹痛いだけなんじゃねーのっていうかそこで頑張れるならニコニコ動画でランキング入りぐらい余裕じゃねえの?って話
仕事というのは自分を売っていく作業なわけで、それを売る努力ができるなら、きょうびニコ動みたいないい実験場があるんだからフリーになるまでもなく努力をして、そこで手応えを掴んでからフリーになってもいいんじゃないか?
(流行に乗る事を下敷きにしてるから人の多いニコ動を例に出してるけど、上で書いたようなオーディションとかコンペでももちろん良いと思うので、そのへんは置き換えたまえ)
プロになれば売れる!みたいなのは専門学校に入れば出来る!みたいな話で、誰かが教えてくれる・サポートしてくれるから出来る!という他力本願な甘えでしかない。
そういった茨の道を歩くためには準備が必要だし、不安が残るならそれは準備不足の証拠かもしれない。
だから一切準備してない俺はフリーで食うのはいやだなあというふうにおもうわけです。
フリーで成功できる確信がもてるほど何かしらヒットさせたら一瞬で考えを改めるけど。
あと、それほど品質が高くなくて、流行に乗っているわけで無くても、その人(俺のことですが)の作品を気に入ってくれるという人は確実にいるようなので、そう言う方面での新しい販路とかシステムを開拓したりとかっていうのを込みで考えると、上記のような単純な音楽を売るための実力だけで勝ち進むのとは違った仕事ができるかもしれない。
個人的にはそっちなら興味あるな。
AKBの「可愛くない子の可愛くなさを売り上げにつなげる商法」みたいな方向性とかもありそう(俺はAKBや秋元のやり口は好きです)
フリーというよりは起業みたいな話になっちゃうかもしれんけど、やっぱり成功するのは最終的には組織なんじゃないかなあという思い。
でもまあわたしは創作活動については
好き勝手作ってたまに誉められるぐらいがちょうどいいです