今時なのか昔からなのか、選挙はキチガイの大喜利と化しており、皆さんも楽しんでいることと思う。
そんな中、今回、最も期待していた選挙芸人と考えられる候補者が、プロフィール拒否、会見拒否、公報は手書きというあらゆるキチガイの条件を満たしながら、ある一つの公約だけを掲げていた。それが得票数戦闘力システムだ。
もっとこう思考盗聴規制法とかを期待していたからガッカリしただけでなく、おれも同じ事を考えていたからキチガイ待ったなしである。

そもそも一票の格差問題とは、東京で53万票で当選した人と、どっかの田舎で5票で当選した人がどちらも同じ強さとされる問題であり、フリーザと地球の一般人が同レベルで、フリーザに負けたベジータがそれ以下とされる摩訶不思議現象である。
世間的にはこれを解消するため、東京では10人選出し、どっかの田舎は5000集落に1人選出する、といった形で小選挙区を構成してバランスを取ろうとしている。
しかし、その方法では次に、100%の得票率で当選した人と、60%の得票率で当選した人は同じ強さなのか、またそのとき40%の票はどこに消えたのかという問題が発生する。
近日、イギリスのEU離脱問題が51対49というような僅差で離脱が勝利するという話があったが、キノコかタケノコかを選ぶ選挙でキノコが勝利したら、49%のタケノコ支持者がいようが以後はキノコしか認めない、そんなことが許されるのだろうか。

それを解決するのが得票数戦闘力システムである。
おれが考えていたのは、議員は自らの得票数を戦闘力として国会内での議決を行える仕組みで、株主総会の株数が得票数になったようなものだ。
例の候補者は得票数の少ない者は別の当選者に票を委任する、とあったが、ぼくは株主が一株でも株主であるように、立候補者は全員議員となればいいと思っている点が異なっていた。
誰でも議員となれるのだから、議員報酬というのは得票数や実績等に応じた配当として、得票数が少ない議員は委任状を書くようにすればよい。大塚商会がやっていたように。

さてこの戦闘力システムだが、当然導入による問題もある。
ひとつは元気玉問題。これまではフリーザが53万の得票数で当選し、クリリンやベジータは為す術も無かったのだが、彼らが協力することで議決を覆すことができる。特に、サイヤ人の孫悟空による元気玉を使うと、泡沫議員の戦闘力を集めて強敵を倒すことが出来る。
そうなると、フリーザもサイヤ人対策を行う必要がある。これは上記でいうキノコタケノコ問題で考えればメリットであるとも言える。
勝利した=その言い分が100%通るのではなく、少数意見を加味して、落としどころを見つける必要があり、やりたいことができなくなってしまう。

もう一つの問題は、現状の選挙システムは、そもそ得票数戦闘力を単純化したシステムであるということだ。
本来、51%の得票で勝利した者は、戦闘力に関わらずその向こうに49%がいることを意識すべきであるし、与党と野党はその勢力に応じた落としどころを見つける為に戦うべきである。
だから、あえて得票数どうこう言わなくても、本来はそのようなことは実現されているはずなのだ。制度の変更は手間を増やすだけである。

しかし過半数を取れば自由にできる!勝利!みたいな戦い方がすでに行われている以上、それを戦闘力という数字の仕組みとして明確化する事で正常化を図る必要があるというのがぼくの考えである。

余談だが、直接民主制がこれに近い制度となる。
どこぞの政党は「国民投票による割合を議会での賛否に反映する」という裏技のような仕組みで直接民主制を実現しようとしているようだ。
この政党、国民投票をどうやって行うのかとか、そもそも投票者が間違って投票してしまうような党名を掲げており、国民の間違いを期待しながら、国民の判断を政治に取り入れるという妙な感じになっており、本当に直接民主制を実現できるのかどうかを自ら危うくしている。

また、そもそも直接民主制が時代に適しているのかどうかという問題がある。
先のEU離脱問題では、大雑把に「知識階級は離脱に反対していた」という話を聞いた。
たとえば今、夕飯のため買い物に行かなければならないとお母さんは知っているが、無知な子供やお父さんは遊びたいと提案し、多数決により遊びに出かける。結果、夕飯に困る。といったふうに、専門家の判断は時に多数決に優先すべき場合がある。
特に、昨今は夕飯なんかより遊びに行こうぜ!と民衆を煽るような風潮があり、遊びたい子供の気持ちが分からないお母さんはクソ!などと批判して遊びに連れ出させ、あげく夕飯の準備もできないお母さん!のような理不尽な物言いが目立つ。昨今ではないかもしれないが。

冒頭でも挙げたとおり、選挙と言えば芸人の大喜利で、せっかくの被選挙権もキチガイの遊び道具となってしまった。民衆も上記の通りで、強いリーダーもいない。独裁も貴族院も民主主義も機能していない末法の時代である。
実際の所、この先「強いリーダー」が登場して独裁政権へ突入していくというのが歴史に裏付けされた次の一手ではあるのだけど、そんな計算通りの世界も面白くないので、得票数戦闘力システムによる議会の機能回復、それによる国民の意識改革、といったふうに民主主義を回復し、個人の自由が全体を正しく動かすような社会になることを期待しつつぼくはキチガイに票を投じるのである。

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